建築ITコミュニケーションデザイン論
2005年4月13日(水)開講です。
東北大学大学院工学研究科都市・建築学専攻博士課程前期2年 選択科目
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建築ITコミュニケーションデザイン論
2005年4月13日(水)開講です。
東北大学大学院工学研究科都市・建築学専攻博士課程前期2年 選択科目
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建築ITコミュニケーションデザイン論
情報技術と没場所性(その2)
ハンドアウトは前回と共通です。
次回,8月3日に補講。
期末レポート課題もこの時説明しますが,事前に学内の掲示板にレポート課題を出しておいてもらいますので,注意しておいてください。
本レポートの内容をもって成績評価を行うので、単位取得を希望する学生は必ず期限までに提出すること。
■課題
(1)講義で扱ったトピックのうち,もっとも関心をもったものを挙げ,
(2)そのトピックに関わる具体的な事例として,実在する人工物やシステム——建築,開発段階のものを含むプロダクト,各種サービスなど——を二つ以上提示しながら,
(3)それら人工物やシステムが,人々のコミュニケーションにもたらす/もたらした影響について論ぜよ。
■採点基準
採点にあたっては,全体の議論の論理的整合性および独創性を重視する。
■体裁等
emailに添付して本江まで送付する。
ファイルフォーマットはPDFとする。
ファイルサイズはなるべく5MB以内に圧縮すること。
必要に応じて図版を使用することが望ましい。
■締切と提出場所
送付先アドレス motoe@myu.ac.jp
2005年8月11日(木)のうちに送信すること。
■その他の注意事項
8月3日の補講において,課題の趣旨について再度説明する。
優れたレポートについては、内容をWWW上で公開する場合がある。
ユクスキュル, クリサート,『生物から見た世界』日高敏隆, 羽田節子訳,岩波文庫,2005
環境世界論の古典。手に入りにくくなっていたが,文庫になった。必読。
ギブソンのアフォーダンスとノーマンのアフォーダンスの違いをクリアに解説。
fladdict.net blog: アフォーダンスってなんザンス?
ダニエル・ノーマンは後年に、「誰の為のデザイン」で言及されているアフォーダンスは全て、ギブソンの言うアフォーダンスではない、と訂正を行っています。そして、ギブソンのいうアフォーダンスを実際のアフォーダンス(Real Affordance)と呼んだ上で、自らの著書内にあるアフォーダンスという文章は全て、「知覚されたアフォーダンス(Perceived Affordance)」と読むべきだ、と言及しています。
(引用者註:文中の「ダニエル・ノーマン」は「ドナルド・ノーマン」の誤り)
その訂正を行ったノーマンのエッセイがこれだそうだ。
Affordance, Conventions and Design ( jnd.org )
私の書いたグズグズと長い,ふたつのアフォーダンスの話,きちんと直していかないといけないなあ。
授業で最後に見せた錯視の事例は下記で詳しく見られます。
北岡明佳の錯視のページ
本日は都合により休講としました。
来週は予定どおり行います。
今期の今後の予定:
2006年6月21日[水] 速度とスケール
2006年6月28日[水] 休講
2006年7月5日[水] 休講
2006年7月12日[水] 「『情報化社会』論』論
2006年7月19日[水] 没場所化する社会と場所へのコミットメント
映像作家Morton Heilig が1962年に作ったVRシミュレータの先駆け。
オートバイで走る主観カメラ映像にあわせて,9つのファンから利用者の顔に風をあてたり,座席を振動させたり,花壇の脇を通るときにはジャスミンやハイビスカスの香りを聞かせたり,ブルックリンのイタリアンレストランの前を通るときにはピザを焼くにおいをさせたりするのだそうだ。
オートバイの作品の他にも,「ベリーダンサー」「砂丘のバギー」「ヘリコプター」「サビーナとのデート」「私はコカコーラのボトル」などをつくった。2分ほどの作品らしい。
via Proceedings of the Athanasius Kircher Society » Morton Heilig’s Sensorama
関連:
上記で示されているSensoramaについての言及のあるMITの論文:Joseph Nathaniel Kaye, Symbolic Olfactory Display
Morton Heilig について情報を集めたサイト:THE FATHER OF VIRTUAL REALITY
ここにはHeiligによるSensoramaのパテントもある。詳しい図解付き。飛行機の操縦の訓練なんかにこのシミュレータは有効だとしている。
いきなりですが、
次週4/18より開講します。
はじめに
今期の日程
aitcd_2007_01.pdf
データの表象
aitcd_2007_02.pdf
空間の表象
aitcd_2007_03.pdf
身体と空間1:視覚
aitcd_2007_04.pdf
本日は履修者の多くが海外研修のため休講とします。
身体と空間(3)
ユクスキュル、B. スミス、J. ギブソン
aitcd_2007_06.pdf
毎度煮え切らない状態のまま終わる回。
私自身が十分に理解できていないということなのだが。
情報の反意語は何か?
aitcd_2007_07.rtfd
情報と都市
aitcd_2007_08.pdf
速度とスケール
aitcd_2007_09.rtf
情報化社会論
授業評価アンケート
aitcd_2007_10.pdf
期末レポート課題。締め切りは8月10日。
aitcd_2007_report課題.pdf
来週、7月18日は、修士論文中間発表会のため休講。
修士一年生も発表を聞くべし。
次回は7月25日。最終回です。
最終回。
環境情報デザイン論:場所へのコミットメントをデザインする。
ハンドアウト無し。
期末レポートについては、前回のハンドアウトを参照のこと。
下記から入手できる。
http://www.mediafire.com/?ejzhhf324wy
はじめに
aitcd_2008_01.pdf
※ハンドアウトのリンクを修正しました。(2008.4.20)
来週は休講。次回は4月30日です。
↓ハンドアウトを、Scribd経由で配布してみるテスト。でかすぎてウザイですか?
既報のとおり、明日は休講です。
次回は4月30日。
WIRED VISIONに、先日の講義でふれたチャールズ・バベッジの階差機関の復元についての記事が出た。ビデオ必見。
160年を経て完成した『バベッジの階差機関』:動画で紹介 | WIRED VISION:
身体と空間(1) 視覚
aitcd_2008_04.pdf
情報の反意語は何か
aitcd_2008_05.pdf
第6回 身体と空間(2) 意味や価値は世界のどこにあるのか?
第7回 情報と都市。時間と空間の再編成
居ることの経済性、情報都市、監視社会
aitcd_2008_07.pdf
速度とスケール
aitcd_2008_08.pdf
第9回:「情報化社会」という神話
aitcd_2008_09.pdf
建築とコンピュータ
aitcd_2008_10.pdf
はじめに
aitcd_2009_01.pdf
次回は4月22日です。
もう少し収容人数の多い教室を探しますが、とりあえず109大学院講義室に集まってください。
本日から、建築ITコミュニケーション論の教室を2Fの建3教室に変更します。
データの表象
aitcd_2009_02.pdf
次回は2週休講の後、5月13日「空間の表象」です。
教室が建3教室に変更になっていますのでご注意ください。
空間の表象
aitcd_2009_03.pdf
身体と空間(1) 視覚
aitcd_2009_04.pdf
環境世界論
aitcd_2009_05.pdf
速度とスケール(短縮版)
aitcd_2009_06短縮版.pdf
情報化社会という神話
aitcd_2009_07.pdf
建築とコンピュータ
情報と都市。時間と空間の再編成
aitcd_2009_09.pdf
レポート課題を出題しました。
メールで提出してください。
2009年8月7日(金)消印(送信タイムスタンプ)有効です。
aitcd_2009_09_report課題.pdf
最終回。
レポート課題の逆、つまり「人々のコミュニケーションのありかたの変化が、人工物やシステムにもたらす/もたらした影響」について、ワールドカフェ形式で議論した。
宿主のメモもそのままPDFに含まれている。
aitcd_2009_10.pdf
はじめに。教員紹介。
aitcd_2010_01.pdf
データの表象
aitcd_2010_02.pdf
空間の表象
aitcd_2010_03.pdf
身体と空間(1)視覚
aitcd_2010_04.pdf
身体と空間(2) 意味や価値は世界のどこにあるのか?
毎年、この回の講義は難儀である。
なんでそのことが問題なのかを、建築の問題に着陸できる形で、うまく説明できないからだ。
生物は世界に意味や価値を見出しながら生きている。実感としてそうである。そのことの不思議をきちんと捉えたい。
一方、近代科学の世界観によれば、世界そのものには意味は存在しない。意味は認識されるものである。こっちにある。そっちにはない。
たとえば、色彩。
生き物は大抵、鮮血の色におびえ、新緑の色にわきたつだろう。色彩には意味があり価値がある。
しかし、近代科学における色彩は、物質表面の微細構造による反射の性質と、光の刺激に対する神経と脳の反応の問題とに分解されてしまう。
その説明は理解できるんだけど、二極化されてしまった「色彩」のありようは、どちらも生き物が普通には承知できない水準におかれてしまっている。そう説明されるとき、それはもう生き物と環境との関係のなかに見出される豊かな「色彩」とは関係ないものになってはいないか。理解はできても、生き物が環境と意味や価値をやりとりしながら生きているという出来事の説明として、得心がいかないように感じられる。直観に反する結論に至るという近代科学の醍醐味を知らないわけではない。しかし、なんだか、はぐらかされているようだ。
そこで、今日の講義では、生物が環境とかかわりながら生きていることを、議論の水準をずらさずに、説明しようとしている人たちを3人呼び出してみた。
- 環境世界論のユクスキュル
- 環境形而上学のバリー・スミス
- アフォーダンスのギブソン
しかし、今日は、それぞれのことをそれぞれに説明しているだけで、相互の連関も必ずしもうまく述べることができていなくて、断片的な話をしているだけという感じなのである。我ながら。
齋藤 暢人(早稲田大学)/染谷 昌義(東京大学)「生態心理学から環境形而上学へ ――「形式的存在論」の応用の諸相――」なんかすごく面白いと私は思うのだけれど、その面白さを、普通の建築の学生が面白がれるような形で、うまく転換できていないのであった。
この講義の一番のネタ本はこれ。今日の本江の説明はあまりよくわからなかったが、なんとなく興味をもったというむきは、まずこれを読まれよ。
"包まれるヒト―“環境”の存在論 (シリーズ ヒトの科学)" (岩波書店)
あと、たとえば記号学的な意味での色彩の話はフツーにいっぱいあるんだから、デザイン論としてはその水準でいいんじゃね? という反論への答え方も用意できてない。
もうちょっと勉強して、さらに考えないといかんな。
速度とスケール
aitcd_2010_06.pdf
次週6月2日は休講とします。
次回は6月9日です。
情報の反意語は何か?
aitcd_2010_07情報の反意語.pdf
具体と抽象の間で、
自律完結と断片の間で、
その中間的状態として、流動化しつつ、まとまりを保とうとする「情報」という状態について。
「情報化社会」という神話
aitcd_2010_08情報社会.pdf
情報と都市
aitcd_2010_09.pdf
来週6/30は休講。
次回は7/7です。期末レポートの課題を説明します。
はじめに,教員紹介。
データの表象
aitcd_2011_02.pdf
空間の表象
aitcd_2011_03.pdf
身体と空間(1) 視覚
aitcd_2011_04.pdf
身体と空間(2) 意味や価値は世界のどこにあるのか?
身体と空間(2)
意味や価値は世界のどこにあるか?
速度とスケール。Powers of Ten,時間の文化史、鉄道旅行の歴史
aitcd_2011_06.pdf
速度とスケール。
Powers of Ten,時間の文化史、鉄道旅行の歴史。
aitcd_2011_06.pdf
情報の反意語は何か?
「情報化社会」という神話
情報と都市,時間と空間の再編成
データの表象
もうひとつくらい映像を入れたい。
情報化社会という神話
授業時に配布したものから少し変更しているので、上記PDFと置き換えてください。
すでに授業中に告知していますが、6月20日と27日の、建築ITコミュニケーションデザイン論は、都合により休講です。
来週7/18は休講です。
本日のハンドアウトは製作中。いずれこのページで公開します。
今日見せた動画は以下のとおり。
Ford T型を紹介する映像。機械としての自動車。馬車とは違い、機関車のように速く、段差も乗り越えて走れる。ただし、剥き出しの機械であって、生活になじむものではなかった。
1948年のオールズモビル(のちにGMの一部となる)のコマーシャル。機械そのものへの関心は後退し、ダイナミックで未来的な="futuramic"な、造形への関心が前景化し、安全性、快適性、豪華さなどが欲望の中心となっていく。
参考:futuramic はオールズモビル社の造語らしい。
剥き出しの、そのままでは生活のなかに入り込みにくい機械や電器製品を、どのように家庭の日常の中に組み込んでいくか、という課題に応えるべく、インダストリアルデザインが登場した。無骨であぶなっかしい機械を美しく使いやすいシェルで包むことが必要になる。
『口紅から機関車まで』で知られるデザイナー、レイモンド・ローウィーはストリームライン(流線型)でそれに答えた。流麗なパッケージでメカニズムを隠蔽し、その運動のイメージだけを抽象化して取り出す。あらゆる日用品がストリームラインのシェルで包まれる。それらの多くは板金のプレスでつくられていた。
ストリームラインとは違うデザイン言語で、複雑なメカニズムを包む方法を産み出したもうひとりのデザイナーはディーター・ラムズ。ラムズのブラウン社での仕事は、運動する大型機械ではなく、人が様々に操作する電器製品が中心であった。ミニマルでモノトーンの、プラスチックによる四角いパッケージに、均整よく配置されたスイッチやダイアル、目盛りや廃熱スリット、操作を指示する文字、アクセントカラーなどによるもので、量感のあるストリームラインとは対照的に、グラフィックデザインの仕事に近いものである。
BRAUNでのラムズの仕事は、APPLEに受け継がれたといえる。
アルミの厚板を削り出して、内部の機構を納める空間をつくりだす MacBook Unibody は、精度の高いマシニング加工の成果である。板金、成型プラスチックから、ユニボディーへと、パッケージの素材は生産技術とともに変化していく。
さて、ストリームラインとミニマリズムとは別の角度から、ハッピーでセクシーなデザイン言語を指向した、インダストリアルデザインにおけるポストモダニズム運動の中心が、グループ「メンフィス」を組織したエットーレ・ソットサス。
同じような複雑なメカニズムを包み込むにしても、ソットサスはラムズとは対照的に、楽しげでセクシーな色と形を使う。オリベッティのタイプライターはモダンデザインのアイコンになっている。
メンフィスは、きわめて自由な形態で様々な機能を包み込み、表情の与え方の可能性を拡げていったのだった。
先にUnibodyでみたように、アップルは製品の作り方においても果敢に先端的な生産技術を採用する。しかし、その大量生産を自ら行なっているわけではない。マーケティングとデザインをおこない、生産技術は開発するが、生産はしない。NIKEなどと同様に典型的なファブレス企業である。
実際に生産しているのは、中国深圳のFoxconn社。従業員24万人の巨大企業である。
フォーディズムから始まる、大量生産される複雑な装置を包み込んで生活環境になじませるシステムは、ここまできている。
さらにこの先に、パーソナルファブリケーション、ソーシャルファブリケーションとよばれる、生産と生活の新しい関係が現れはじめている。MITにfablabを開設した、ニール・ガーシェンフィールド。
ファブラボのアイデアを拡張していくと、デジタル錬金術というべきところまでいく。アトム(素材)とビット(設計情報)の分離が徹底されていれば、必要に応じていつでも物をその場で作り出すことができるという話になる。
理論的な可能性と、いまここで実践できるか、ということの間には大きなギャップがあるものの、ファブラボの思想の持っているラジカル指向については意識をしておく必要があると思う。
パーソナルファブリケーションは、工場における大量生産を補完する生産システムとして、一定の地位を占めていくことになるだろうが、その時、ブリコラージュ的に作られる無骨なメカニズムを、どのように包んだらいいのか、誰がそれをデザインするのか、という新しい問いが現れる。たとえ無骨であっても、それが自分でつくったものなら、そのまま自分の生活の中に引き受けていくことができるから、美しいシェルなど不要である、という意見もあるだろう。あるいは、ローウィーやラムズ、ソットサスがそうしたように、パーソナルファブリケーションに相応しいシェルのデザイン言語が開発されるのだろうか。
また、どんなふうに(how)作るか、から、そもそも何を(what)作るかへと、デザインの中心的な課題がシフトしてきているとも言われる。IDEOのワークショップは、たとえばショッピングカートのような日常的なものにも、イノベーションの余地があるのであって、その可能性を引き出すための検討のしかたにも相応しい方法論があるはずだと教える。キーとなるのは異なるバックグラウンドを持つ者どうしのコラボレーションである。
今日の講義についての参考文献についても追って掲載するつもり。
第1回 はじめに
授業では、次回5月9日といいましたが、5月8日(水)の間違いです。失礼しました。
建築ITコミュニケーションデザイン論 第3回
本江正茂
2013年4月24日(水)
建築ITコミュニケーションデザイン論 第4回
本江正茂
2013年5月8日(水)
「Dialog in the Dark」は、日常生活のさまざまな環境を織り込んだまっくらな空間を、 聴覚や触覚など視覚以外の感覚を使って体験する、ワークショップ形式の展覧会です。 1989年ドイツ・ハイネッケ博士のアイディアで生まれ、その後、ヨーロッパ中心に70都市で開催、 すでに100万人が体験しています。 参加者は、くらやみの展示室を普段どおりに行動することは、不可能です。 そこで、目の不自由な方に案内してもらいます。案内の人の声に導かれながら、 視覚以外の感覚に集中していくと、次第にそれらの感覚が豊かになり、 それまで気がつかなかった世界と出会いはじめます。森を感じ、小川のせせらぎに耳を傾け、 バーでドリンクを深く味わいながら、お互いの感想を交換することで、これまでとはすこしちがう、 新しい関係が生まれるきっかけをつくります。(DID in 仙台 開催趣旨文より)
DID、3つのテーマ
2001年10月21~31日於せんだいメディアテーク
実質参加者数:592名。本江も参加。
動くと環境のことがわかる。じっとしていると何もわからない。
障害者体験以上に、感覚の解放の問題。マルチメディア?
東京・外苑前で現在開催中。ぜひ行くべき。
色は分からない。先天性視覚障害で視覚野が未発達の場合は使えない。
事例にあるジェリー氏は22歳の時に外傷で片目を失明。36歳のとき第二の外傷で全盲となる。1978年(41歳)に手術をうけ、20年以上感染などの問題なく暮らしている。地下鉄にも乗れる。
2002年4月現在、システムは市販され、6か国で8名の患者がインプラント手術をうけている。将来的には手術料込みでUSD $50,000。
「体を動かして帽子を取り、人形にかぶせる。」→ 視覚と身体動作の同調=見えている!
ソースはカメラでなくてもいい。
要素刺激とゲシュタルトは同レベルにある。
視覚その他の人工眼研究
イエンス・ナウマンさんの事例
環境の中を動き回る知覚者の知覚。
生態光学(エコロジカル・オプティクス)
「画家はその身体を世界に貸すことによって、世界を絵に変える。」
「わたしの位置の移動はすべて、原則としてわたしの視野の一角に何らかの形で現れ、〈見えるもの〉の地図に描きこまれる。そして、わたしの見るすべてのものは、原則として私の射程内に、少なくともまなざしの射程内にあって、「私がなしうる」ことの地図の上に定位されるのだ。この二つの地図はいずれも完全なものである。つまり、見える世界と私の運動的企投の世界とは、それぞれに同一の存在の全体を覆っているのだ。」
「謎は、私の身体が見るものであると同時に見えるものだという点にある。……この最初のパラドクスは、爾余のパラドクスを生み出さずにはいない。見えるものであり、動かされるものである私の身体は、物の一つに数え入れられ、一つの物である。私の身体は世界の織目の中に取り込まれており、その凝集力は物のそれなのだ。しかし、私の身体は自分で見たり動いたりもするのだから、自分の回りに物を集めるのだが、それらの物はいわば身体そのものの付属品か延長であって、その肉のうちに象嵌され、言葉のすべき意味での身体の一部をなしている。したがって、世界は、ほかならぬ身体という生地で仕立てられていることになるのだ。」
意味や価値は世界のどこにあるのか? 建築ITコミュニケーションデザイン論 第5回:
本江正茂
2013-05-15(水)
テレビ番組「NHKスペシャル 立花隆 ヒトはどこへ行くのか」(NHK, 2005)を見つつ。
どう考えますか? 精神/物質、脳/身体、生命/環境、Human Enhansment
近代科学的唯物論=世界は物質の配列にすぎない。
→物質それ自体には感性も価値も目的もない。つまり意味がない。
→意味や価値は「精神の世界」に生じる。物質の世界と精神の世界の分裂。存在論から認識論へ。
アリストテレス(自然の意味は知覚される) vs
問題:色彩はどこにあるか?
→二極化
精神→脳と神経
「物理主義的な存在者の限られた性質から、「有意味」な環境を「構成」して認識する知性のからくりを、主体に、あるいは脳に帰属せざるを得なくなってしまった」(染谷、p.89)
「ヒトや生き物を取り囲んでいる意味や価値を、何かに還元することなく、取り囲みの中にあるがままに取り扱うことのできる自然科学、そしてそれを支える哲学――特に存在論――が未だに出現していない」し、「生活資源としての意味や価値を従来の物理学や化学がまだ踏み込んでいない高次の事実として正当に扱うことのできる環境の科学が構築できないでいる」(染谷、p.87)
「取り囲まれる生物の知覚と行動につり合った生態学的水準での」環境存在論はいかに可能か?
機械的環境論 環境=「われわれを取り囲み、一定の刺激によって作用する客体的な体系」=環境は単一の均質な時空間。=環境は客体的な容器=私は環境の主体ではない。環境改善=容器の修繕という思考
ヤーコプ・フォン・ユクスキュル(1864-1944) エストニアの生物学者
生物はそれぞれの「意味の担い手」たる「知覚標識」からなる「環境世界」を生きている。
affordance 環境が動物に提供する「価値」。J. ギブソンの造語。
Surface Geometry:サブスタンス、媒質、表面。表面レイアウト
「知覚者でありかつ行為者であるテナントは、表面レイアウトとしてのリテイニアーと、表面レイアウトがテナントに提供する行為の可能性としてのアフォーダンスを特定する情報場(媒質)とに取り囲まれている」(染谷, p.95)
「等価」で「冗長」な情報を複数のシステムで知覚している。e.g. 「火」「食べ物」
基礎定位システム
動くことによって、動かない構造を見いだす。
古典的な感覚作用にもとづく知覚モデル:刺激→「受容器」で「反応」→脳による処理→「情報」の生成。
↓さまざまな難問。感覚の限界という牢獄、恒常性、生得的能力、経験の体制化
情報ピックアップ=情報にもとづく知覚:「情報」はすでに環境にある→「知覚システム」で「探索」して、直接手に入れる。
「有機体がその中で生活しその中を異動する空間領域や空間領域の部分、つまり有機体を取り囲む環境についての一般的理論」「取り囲みの中でのヒトを含めた生物の知覚や行動の研究、取り囲みを実際にデザインし制作する研究が依拠している種種の「取り囲み構造」を統一的に理解するための理論、ないし概念枠組みの構築」(染谷, p.89)
二重穴構造 Double Hole Structure
曖昧な Fiat 境界
「建築とは、壁や床や天井という通り抜けできない表面群と通り抜けできる媒質からなる取り囲みを、その中での知覚と移動を一定に制限するような機能を持つように作り出す作業」(染谷,p.91)
「本稿が擁護する(引用者註:アリストテレスの)存在論へのアプローチ方法は、原子ではなく、通常の日常的活動においてわたしたちを取り巻いているメゾスコピック(=中間的)な事物から出発する。それは世界を、具体的かつ個別的な原子からなる存在として捉えるわけではなく、抽象的な(ひとつあるいは任意の段階から成る)「性質」や「属性」として見るわけでもない。むしろ世界はあなたと私によって、あなたの頭痛と私のくしゃみによって、あるいはあなたの闘争と私の戦いによってできあがっているのである。」(スミス, p198)
環境を知覚することと、自己を知覚することは、相補的。
建築はなぜ四角いのか? →人間が「直方体」であるから。(ボルノウ)
子供には三角より四角が描きやすい ?
E.ホール『かくれた次元』/プロクシミクス(proxemics)
7.6m以上
性差 男性は正面を嫌い、女性は横を嫌う
Powers of Ten,時間の文化史、鉄道旅行の歴史 建築ITコミュニケーションデザイン論 第6回
本江正茂
2013年5月22日水曜日
Q 現代における速度とスケールの変容はどこに起きているか。それは今後どのように評価されることになるだろうか?
建築ITコミュニケーションデザイン論 第7回
本江正茂
2013年5月29日水曜日
情報という「概念に対して付与されるイメージが多様であるために,話が混乱することも少なくない。」「情報という言葉の与えるメンタルなイメージが,各人ごとに異なっている」点に問題がある。しかし「強引に(かつ一元的に)整理すると今度は「情報」という語の持つ立体性を損なう」。「根源的な問題はむしろ,何を情報と捉えるかという前提,考え方,世界観にあるのではないだろうか。」(田畑)
「現実」の反意語? 理想、夢、虚構(見田)
生な「データ」→加工→「情報」→分析・理解→「知識」→統合・連携→「知恵」
これら三つの理論はすべて「本質において,それらのおのおのは,論理分析と数学という道具を用いることによって,私たちの周りの世界について私たちが知りうることには限界があるということを主張」(カスティ)
「科学の焦点として,情報が物質とエネルギーに取って代わることの始まり」(カスティ)
The fundamental problem of communication is that of reproducing at one point either exactly or ap- proximately a message selected at another point. Frequently the messages have meaning; that is they refer to or are correlated according to some system with certain physical or conceptual entities. These semantic aspects of communication are irrelevant to the engineering problem.
(1) 万能機械主義の時代 1936-
(2) 身体環境主義の時代 1968-
(3) ネットワーク主義の時代 1995-
建築ITコミュニケーションデザイン論 第8回 本江正茂 2013-06-05(水)
30年前から,モデルチェンジしながら、ずっと同じようなことが言われている。
cf. 佐藤1996, 31-36
近代社会の終焉 個人の時代になる
両者が矛盾したまま、存続していられるのはなぜか?
「脱工業社会」への変化の5つの次元
『第三の波』中公文庫、1982(原著1980)
ネットワーク的・分散的思考はない。
マルチメディアとインターネットのブーム
× 情報・メディア技術 → 情報化社会
情報・メディア技術
○ ↑↓ → 情報ネットワーク社会
社会・文化
建築ITコミュニケーションデザイン論 第9回:情報と都市。時間と空間の再編成
本江正茂
2013-06-12(水)
| | Synchronous | Asynchronous | |-----------| -------------------- | ------------- | |local | Talk to face-to face | Leave note on desk | | | Requires transportation | Requires transportation | | | Requires coordination | Eliminates coordination | | | Intense, personal | Displace in time | | | Very high cost | Reduce cost | | ———— | ——————————— | ——————————— | | remote | Talk by telephone | Send email | | |Eliminates transportation | Eliminates transportation | | | Requires coordination | Eliminates coordination | | | Displace in space | Displace in time and space | | | Reduce cost | Very low cost |
ありがちな「情報都市」へのビジョン : - 都市の消滅/マーシャル・マクルーハン 1960s - 都市の危機/ポール・ヴィリリオ 1980s - 都市+メディア=局地的な関係の場+非局地的・全地球的な関係の場=情報都市……という図式 - 都市はメディアである/フリードリッヒ・キットラー
ルイス・ワースの社会学的な「都市」の定義 : - 「大量・高密度・高異質的な人口からなる恒常的な定住」 - 大きくても村、小さくても都市
より妥当な「都市」の定義として…… : - 「複数の離散する地域や集団の中で、身体や物財や情報の交通を媒体して、それらを同一の社会の大きな広がりのへ組み込むような関係の場になる定住」 - 「社会の空間的な広がりの中で複数の領域や集団の間の交通関係を媒体するメディアである定住」 - 「間-場所的な場所」「メタ-場所」
都市には、間-共同体的な普遍的秩序がある。 : - e.g. 政治、経済、宗教 - ただし、都市は特定の土地空間上の人口集積として実現されざるをえない。 - 社会の「土地性」「交通性」の制限 - 道筋的=移動経路的 trajective vs 望遠レンズ的=遠隔対象的 tele-objective/ヴィリリオ
多数の「メディア」の協働が必要。
都市は、これら多様なメディアの協働によって媒体された広域的なコミュニケーション体系の中ではじめて可能になる。
マクルーハン「The Medium is the Message」「The Medium is the Massage」
「情報都市」論の問題点 : - 情報化以前の都市というものがあって、それが情報化して情報都市ができる…のではない。 - 現実の都市も、局地的身体的なだけではなく広域的コミュニケーションの場であった。都市は、局地的かつ広域的な関係を可能にしてきた。 - すべての都市は「情報都市」である。
建築ITコミュニケーションデザイン論 第10回
本江正茂
2013-06-19(水)
すべり台「きょうはつかえません」
'18世紀末に功利主義者のベンサムが効率的な監獄のために発案
近代管理システムのモデルとしてのパノプティコン
まなざしの経済の逆転:見られているが見えない
赤信号で止まる:遵法精神の内面化
e.g. 喫煙のコントロール : - 法:20歳以下喫煙禁止 - 規範:人ごみで喫煙するな - 市場:煙草の価格 - アーキテクチャ:フィルタなし、無煙、つよい匂い
例題1 キセル乗車を4つの制約条件から規制するには? : →厳罰化、しつけ強化、運賃低廉化、自動改札化
例題2 飲酒運転を4つの制約条件から規制するには?
環境管理型権力は「個人の行動を数字に置き換えて直接に制御する。」
e.g. 電子カードキー。場合によって入れたり入れなかったり。ネット技術が環境管理型権力を実体化する。
「視線の内面化による規律訓練を通した秩序維持から、個人認証と情報処理による環境管理を通した秩序維持へ」
我々が業とする環境=アーキテクチャの設計という行為の権力性を自覚すること
例題2の答え:飲酒運転の規制
東北大学大学院講義
2014年度
本江正茂 motoe@archi.toholu.ac.jp
建築とITコミュニケーションを統合的なひとつのデザインの問題として考える。
オフィス、学校、図書館などの建築空間の多くは、その内部で情報の授受を行うことが主要な役割であった。しかし、近年の情報技術の革新によって、建築空間と情報の関係は大きく変化した。これからの空間と情報のデザインを考えていくためには、両者の相互作用を根本的に見直す必要がある。両者は別々の分野ではなく、そのデザインにあたっては総合的に検討されなければならない。この講義では、テクノロジーのみならず、社会学、芸術、哲学、認知科学などの分野にも視野を広げ、空間と情報にかかわる諸理論と事例を展望する。
受講に当たっては、必ずしも予備知識は必要ない。履修後は、空間と情報の相互作用に関する常識的知識の一端を獲得することによって、両者を見渡した地点から、新たな問題を考えはじめられるようになることが期待される。
本レポートの内容をもって成績評価を行うので、単位取得を希望する学生は必ず期限までに提出すること。
2015年4月15日(水)13:00 開講
本江正茂 Masashige Motoe
建築とITコミュニケーションを統合的なひとつのデザインの問題として考える。
オフィス、学校、図書館などの建築空間の多くは、その内部で情報の授受を行うことが主要な役割であった。しかし、近年の情報技術の革新によって、建築空間と情報の関係は大きく変化した。これからの空間と情報のデザインを考えていくためには、両者の相互作用を根本的に見直す必要がある。両者は別々の分野ではなく、そのデザインにあたっては総合的に検討されなければならない。この講義では、テクノロジーのみならず、社会学、芸術、哲学、認知科学などの分野にも視野を広げ、空間と情報にかかわる諸理論と事例を展望する。
受講に当たっては、必ずしも予備知識は必要ない。履修後は、空間と情報の相互作用に関する常識的知識の一端を獲得することによって、両者を見渡した地点から、新たな問題を考えはじめられるようになることが期待される。
各回のタイトルのリンクにハンドアウト(PDF)があります。
期末レポート課題v2 提出方法が変わりました。
2016年4月13日(水)開講
本江 正茂 Masashige Motoe
建築とITコミュニケーションを統合的なひとつのデザインの問題として考える。
オフィス、学校、図書館などの建築空間の多くは、その内部で情報の授受を行うことが主要な役割であった。
しかし、近年の情報技術の革新によって、建築空間と情報の関係は大きく変化した。これからの空間と情報のデザインを考えていくためには、両者の相互作用を根本的に見直す必要がある。両者は別々の分野ではなく、そのデザインにあたっては総合的に検討されなければならない。この講義では、テクノロジーのみならず、社会学、芸術、哲学、認知科学などの分野にも視野を広げ、空間と情報にかかわる諸理論と事例を展望する。
受講に当たっては、必ずしも予備知識は必要ない。履修後は、空間と情報の相互作用に関する常識的知識の一端を獲得することによって、両者を見渡した地点から、新たな問題を考えはじめられるようになることが期待される。
期末レポート課題 提出締め切りは2016年8月6日。
リンク先に各講義のハンドアウトがある。
建築ITコミュニケーションデザイン論を今期も開講します。
初回は 2019年4月10日 13:00-14:30
人間・環境系研究教育棟 土木大講義室(101) にて
この講義のウェブページ: http://bit.ly/2FI5Br1
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本日の出席者は57名でした。そのうち7名(約12%)がミニットペーパーを英語で書いてきた。 ハンドアウトはそれなりに英語で補っているが、もう少し英語情報を厚くした方が良さそうですね。 (ということを日本語で書いているのは矛盾だが)
次回は、少し先になりますが、5月8日です。