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……という、いささか大げさなタイトルで簡単にお話をする機会があったので、ざっと論旨を紹介しておきたい。
また、これに先立つJFMA主催の FM Forumでのバネルディスカッションでの議論にも多くを負うものである。
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政府の「働き方改革」の掛け声は喧しいが、プレミアムフライデーも残業総量規制もなんとなくピンとこない。
人手不足を各社が口にするが、その割には賃金が上がるという話はあまり聞かない。需給バランスで価格が上がるはずなのではないのか。
賃金抑制と超長時間労働と人手不足が矛盾なく同居している状態というのはありうるのか。
一つの有力な仮説は、ほとんど呪いのように聞こえるけれども、人件費を切り詰め抜いた企業しか市場に残っていない、というものだ。
下記のツイートでこの仮説に慄然とするとともに、そこから仕事をはじめないといけないことを思い知った。
satetu4401
人手不足と給料上がらないと過労死は全部両立する概念で「めちゃめちゃ仕事なくて死ぬほど人が余ってる」から「1つの仕事の報酬がクソ安い」から「死ぬほど働く人以外を雇うと会社潰れる」という事実により「死ぬほど働かせる会社以外は全部潰れた」のが現状。今は淘汰後なんだよ
2017-02-16(木) 7:37
FMの分野では経営の3Pということをいう。いやらしい意味ではない。People, Process, Place。今風に言うと、Work force, Work style, Work place だ。
フリーアドレスや会議室の運営効率を上げてオフィスの床を最小化して、workplaceを切り詰めると共に、work stlyeを洗練させて業務プロセスを効率化する。そして、いよいよwork force、すなわち人そのものへの徹底的な圧縮がなされたのが、今日の息苦しさの原因のひとつなのは間違いないだろう。
企業は、その事業のスコープを変えないままに、Work force, Work style, Work placeを圧縮する。スコープから溢れ出るのは、失業者であり違法就労であり空き物件である。何らかの方法で社会的な余地を確保し、これらを社会的に包摂しなくてはならない。企業は外部化できるが、社会はこれを放置できない。いずれ企業にも跳ね返る。まずは市場の縮小として。ついでイノベーションの担い手の枯渇として。
yuuraku
ユニクロ社長「年収は100万でいい」 ワタミ会長「月給は15万でいい」 トヨタ社長「おかしいなあ、なんで車売れんのやろ」
2013-06-03(月) 15:15
その社会的包摂の契機となりうるものとして、語呂合わせ的に、AI, BI, CI があるのではないかと考えた。
- AI: Artificial Intelligence
- BI: Basic Income
- CI: Community Integration
だ。
(続けて「DI: Declare Independence」と言うのもありうるかもしれない。これはsmtの甲斐さんのアイデア。)
オフィスでの労働を時間と空間の拘束/解放で整理した下記の図はよく使われる。
このマトリクスを埋めていくように、オフィスワークの範囲が拡大していった。
これとは違う視点から「仕事」を捉えるマトリクスとして、オフィス学会で検討されているのが下記のものだ。軸の名前はちょっと乱暴に変えてみた。
様々な活動をこの四つ目のマトリクスにプロットできる。
縦軸が「払ってもいい」のYes/Noである。その活動に対し、対価を支払っても良いと他者が評価するかどうかである。
横軸が「払って欲しい」のYes/Noである。その活動に対し、対価を支払ってほしいと主体が意図するかどうかである。
払ってもらうつもりもないし、払う人もいない、と言う右上の状態が「道楽」である。それはそれで幸福な活動だ。
いずれ払ってもらいたいが、それ自体には払う人がいない、と言う左上の状態が「仕込み」である。仕込み無くして仕事は成立しないが、それだけではまだ払ってもらえない。
右下は、払ってもらうつもりもなしにやっているが、端から見ると面白く、いわゆる「お金取れるんじゃない?」と言われるような状態で、「発掘された」「発見された」状態である。これがマニアックだと、なかなか見つからないと言うのは昔の話で、今はネットですぐに見つかるようになっている。
そして、払って欲しい。払ってもいい。両方が有り有りになっているのが、狭義の「仕事」と言うわけである。
企業のスコープは原則としてこの「仕事」の領域に集中している。仕込みはあるが最小化したいし、できるならアウトソースしたい。発見されるのを待つようなことや、まして道楽は許されない。かくして、活動は「仕事」の領域に閉じ込められ、その外の活動は最小化されてしまう。
しかし,少し考えて見ると、「仕事」の中にあるのは、既存の資源投入であり、既存の価値産出である。一定の生産性を持ってこの価値生産を継続することはできるが、ここには新たな価値創造の契機はない。価値は、無意味に見えていた活動が、価値を帯びる瞬間に発生する。この図で言えば、緑の領域の活動が赤いラインを越境するときにだけ起こるのである。それがイノベーションなのだろう。
とすれば、イノベーション=新たな価値の創造を求める企業は、あるいは社会は、赤い「仕事」だけをしていてはいけない。必死で緑の「活動」をやらなければならない。余裕のある企業や人が楽しんでやればいいのではない。イノベーションを創出するために、社会全体で懸命に、様々な活動を緑の領域へと押し広げなくてはならないのだ。
work forceを絞り上げて、活動を赤い「仕事」に閉じ込めている企業/社会に新たな価値創造はない。
センディル・ムッライナタン+では、「スラック slack」すなわち余裕とか緩み、たるみと言うコンセプトが提唱されている。スラックなしでは視野狭窄に陥り、効率も下がるし、新しいことも生まれない。(これはタイトルがチャラいけど名著。おすすめ) 『いつも「時間がない」あなたに: 欠乏の行動人類学』
緑の部分は、言うなれば活動の「スラック」であり、イノベーションの源泉なのだ。これを削らずにおけるかどうかが、価値の産出の鍵なのだ。