人工内耳をつけた筆者が、サイボーグとしての生き方を探っていく物語。
自身がコンピュータに詳しく、そのシステムをよく理解しているからこそ書ける、ユニークな体験記であり、身体論であり、技術論になっている。
サイボーグというと、機械のインプラントのビジュアルのインパクトが強いので、ハードの技術に目を奪われがちだが、筆者はソフトウェアの方が重要であるという。当初、彼の人工内耳には二つのソフトウェアが選べるようになっており、それぞれで聴こえ方が全く違うことから、客観的な「正しい」音などないのだという認識に至る。
閉鎖的だが濃密な手話コミュニティと人工内耳に親和的な口話主義の対立の歴史、貧困のせいで聾の状態に固定されてしまう階層の問題、高いリスクを伴い技術開発のごく初期に自身の身体を提供した先駆者への敬意、自分もまた未来の世代のために実験データを残そうとする意識などなど、サイボーグ技術の周辺におきる様々な社会的問題も幅広く取り上げられている。
人工内耳の失敗例についても取り上げ、夢みがちな未来学者にも釘を刺している。
サイボーグ技術を考えるための、とても良いスタート地点となりうる本である。
自身がコンピュータに詳しく、そのシステムをよく理解しているからこそ書ける、ユニークな体験記であり、身体論であり、技術論になっている。
サイボーグというと、機械のインプラントのビジュアルのインパクトが強いので、ハードの技術に目を奪われがちだが、筆者はソフトウェアの方が重要であるという。当初、彼の人工内耳には二つのソフトウェアが選べるようになっており、それぞれで聴こえ方が全く違うことから、客観的な「正しい」音などないのだという認識に至る。
閉鎖的だが濃密な手話コミュニティと人工内耳に親和的な口話主義の対立の歴史、貧困のせいで聾の状態に固定されてしまう階層の問題、高いリスクを伴い技術開発のごく初期に自身の身体を提供した先駆者への敬意、自分もまた未来の世代のために実験データを残そうとする意識などなど、サイボーグ技術の周辺におきる様々な社会的問題も幅広く取り上げられている。
人工内耳の失敗例についても取り上げ、夢みがちな未来学者にも釘を刺している。
サイボーグ技術を考えるための、とても良いスタート地点となりうる本である。