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『古書修復の愉しみ』

を読む。


アニー トレメル ウィルコックス, 『古書修復の愉しみ(新装版)』

被災して立ち入り禁止になっていた,大学の院生室へようやく再度入れるようになってみたら,多くの資料が水に濡れてしまっていたという悲劇があり,twitterで質問したところ多くの回答をいただき,まとめとして「濡れてシワシワになった本をできるだけ元に戻す方法」を作ったりした。

その勢いで,書店でふと見かけた本書『古書修復の愉しみ』を手に取って読んだ。全然知らなかった本だったのだが,実に面白く読んだ。

英米文学の名門アイオワ大学図書館には,一般の図書管理以外に,稀覯書専門の保存修復部がある。アイオワ大学で英文学を学び,教えていた著者は,著名な製本家・書籍修復家にして保存修復部の長であるウィリアム・アンソニーの講座を受講して,その世界にのめりこみ,女性として最初の弟子となり,保存修復部で働きながら修業を積んでいく。

本書はそのプロセスを追った,著者の自伝的エッセイであり,書籍修復家の見習いとして師匠や仲間たちとともに悩みながら成長していく青春物語である。同時に,尊敬すべき師匠のもと,典型的な正統的周縁参加によって技能を獲得していく技術伝承についてのレポートであり,手仕事に生きる職人の哲学が,仕事の進め方,時間の使い方,道具の扱い方を通じて描かれている。

そして,なにより,西洋古書の修復という馴染みのない仕事のリアルなディテールが,読みやすく丁寧に解説されているのがおもしろい。作業部屋の配置,作業台の上に置かれた本と道具たち,職人の手さばきなどが,生き生きと描写されていて,まったく図版がないにもかかわらず,目に浮かぶようだ。私は研究上の関心から,働く空間や作業手順について,様々な記述を読むが,これだけ客観的に的確に,しかし情熱を感じさせる筆致で書けているものは少ないように思う。訳もよい。訳者は翻訳のために一年半,実際に製本術を学んだのだそうだ。

師ビルへの敬意が全体を満たしていて,実に魅力的な師匠であったことが感じられる。しかし,ビルは入門から一年ほどで死んでしまう。その痛切な喪失感は癒えようもない。ひとりの紙すき職人からの手紙に次のようにある。

だから今,だれもが深い悲しみに沈むなかで,どれほど涙を流そうと,僕は心から言いたい。ビルは死んでいない。まちがいなく僕ら全員の中に生きているんだ。嘆き悲しむ義務はない。ただビルが目指していたものを守り,彼の人柄と理想を,僕らの中に,僕らの仕事の中に生かしつづけ,彼から教わったことを人に教えればいい。そうすれば,僕らはいつもビルとともにあり,彼に会ったことがない大勢の人も彼とともにいられるだろう。(p.200-201)

師から弟子へと技術は時を超えて伝承される。弟子はいずれ師となり弟子をとらねばならない。

ビルは時おり,他の方面で忙しく,自分の弟子や生徒をとらない元弟子のことを激しい口調で非難した。自分が育てた弟子がその技術と知識をだれにも伝えなければ,教えたことが無駄になるとビルは考えていた。修業が進むにつれ人に教える立場にまわり,その後も教えつづけるのが私たちの務めだった。(p.121)

それが,英知の塊である「書籍」を後世につたえるための修復技術であるならば,なおさらのことだろう。

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2011年06月13日 01:00に投稿されたエントリーのページです。

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