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2009年09月 アーカイブ

2009年09月04日

『オフィスの夢——集合知:100人が語る新世代のオフィス』

が出ます。本江も寄稿しています。


"オフィスの夢―集合知:100人が語る新世代のオフィス" (彰国社)

もう少し詳しい内容は、新世代オフィス研究センター(NEO)のサイトからどうぞ。

ecto3のAmazon HelperとFlickr Helper

が使えなくなって困っていたのだが、開発元のディスカッションフォーラムの記事にあった、プラグインを差し替える方法で両方とも復活した。

Flickr Helper と Amazon Helperの代替プラグインは下記で提供されている。
Updating the Flickr plugins in ecto
Updating the Amazon plugin in ecto

ecto3のアプリケーション本体の「パッケージの内容を表示」して、pluginを差し替える。

この機能がなくなるとecto3の価値はずいぶん下がってしまうのだから、開発元は正式なアップデートを早くすべきだ。

積木の家

IMG_0622.JPGの近くを偶然通りかかった。これは何番なのか、外壁など非常によい状態に保たれていた。

…というような、Flickrと連携したポストをするのに、ecto3のFlickr Helperは非常に便利なのだ。

2009年09月05日

『経済成長って何で必要なんだろう?』


"経済成長って何で必要なんだろう? (SYNODOS READINGS)" (芹沢 一也, 荻上 チキ, 飯田 泰之, 岡田 靖, 赤木 智弘, 湯浅 誠)

売り出し中の経済学者飯田泰之の対談集。
経済学者はあくまで技術者であるので「規範=目標は外から与えられる。その規範の中での最適解を出」すという立場。「価値論争部分と計算は峻別」が必要だという。

僕におもしろかったのは、p.185あたりからの飯田と湯浅とのやりとり。
日本の社会保障が非常に低いにも関わらず、地方がもっていたのは、公共事業があったから。公共事業は地方においては雇用を通じた社会保障の機能を担ってきていたのに、より直接的な社会保障への付け替えがなされないまま、公共事業だけがカットされてしまったので、地方はガタガタになっている、という認識は共有されている。
湯浅は、公共事業が社会保障の機能を担っていることを正しく認識したうえで、談合がなくなってダンピング競争になり、少ない公共事業さえも中央にもっていかれてしまうのがまずいのだから、「公契約条例などをつくって、この公共事業のお金のうち何割かは必ず地方に落ちるという決まりにして」いくのがいいという。
飯田は、公共事業の再分配機能は確かにあるが、公共事業がなければ成立しない経済そのものが厳しいのだという。「仮に人口1万人の町があったとしましょう。その町が公共事業がないとやっていけないというのは、この町には1万人を食わしていく力はないのに、1万人が住んじゃってる、ということになるわけです。これを支えるには、必ずどこかよそからお金を持ってこなければいけない。」しかも、公共事業が生産性上昇や景気浮揚に効果を持つのは大都市圏に限られるのであって、地方へ公共事業をまわそうという主張は、ムダを増やすことを認めることになるという。
湯浅が「地方にお金を回すのは、それぞれのコミュニティを守るためには、ある程度必要なんじゃないですか」と応じる。
司会の荻上「いやらしくいえば、そんな土地にしがみつくな、さっさと移住しろ、と」
飯田「平たくいうと、そうなります」とする。

この話題は、巻末の飯田、芹沢、荻上の鼎談にも再度出てくる。p.278 田舎に住む自由を確保すべきか?

荻上が同じ構造の問題として、バリアフリーの学校を例を出す。地元の高校に行きたいと主張する障害者がいたとする。しかし、その学校はバリアフリーになっていない。あきらめて都会のバリアフリーになっている学校に行け、というか、それとも、ひとりのために地元の学校をバリアフリー改修するのか。
飯田は、経済学は、バリアフリーにすべきか否かという問題は解決できないという。バリアフリーの例題は費用便益と保険というふたつの典型的な経済学の問題に整理される。費用便益問題としては、バリアフリー施策にいくらかかるかを示した上で、その額を分担して負担できるか、を問う。ただし、バリアフリー問題は当事者には切実でもそれ以外の人には重要でないため、価値観の対立が生じる。そこで、この改修費用は、そのひとりのためだけのものではなく、これからの子どもたちへ、今後不運にも障害を負ってしまう場合の保険と考える。そうすれば、一定の負担までは受容されるのではないか。

もとの「田舎に住み続けたいが、経済的にも保障されたい」について。地方財政を支えるために都市部の住民はいくら払っているか。細かい計算は本書p.284にあたっていただくとして、現在ざっと収入の1割(!)を支出している。しかも地方人口の維持は保険機能がない。

したがって「おそらく、バリアフリーについては、金額を見たうえで賛成していただける。地方については、「これは無理だ」となるでしょう。」

もちろん、この議論はさらに論点を加えて深まりうる。

建築の学生で、修士設計や卒業設計に取り組んでおり、プロジェクトの社会性について議論したいけれども、イデオロギー対決には辟易としていて、さてどうしようか?という人には、よいひな型を提供しうるのでないかと思う。

2009年09月30日

MEGAHOUSE 都市を使い切るために

と題する展覧会を、京都造形芸術大学ギャラリーRAKUにて開催しています。

●会期 : 2009年9月30日(水)−10月11日(日)
●会場 : 京都造形芸術大学 GALLERY RAKU
●開館時間 : 11時00分〜19時00分【最終日は17時00分まで】 / 会期中無休
●入場 : 無料
●協力 : 東北大学大学院 都市・建築学専攻 本江研究室(ITコミュニケーションデザイン)
●協賛 : カシオ計算機株式会社
●出品者 : 阿部仁史+本江正茂/wowLab

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2006年にツォルフェラインで公開して以来、いくつもの場所で公開の機会をいただいてきた MEGAHOUSE ですが、日本での本格的な展示は、せんだいメディアテークでのカルチュラルタイフーン2008での展示についで2回目。今回は、中央の4面スクリーンのインタラクティブ「試着室」を、周囲8面に分割したモーショングラフィクスで取り囲む構成にしています。

このパノラマモーショングラフィクスは、BIACS3展で制作したもの再編集し、LANでつないだ4台のMac mini それぞれから2画面を送出し、8面の映像を同期して投影するプログラムで動作しています。このシステムはwowlabの制作によるもの。

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初日のギャラリートークは、京都造形芸術大学からファッション社会学の成実弘至さん、アーティストの椿昇さん、建築の松岡聡さんに、wowlabの長崎智宏さんと本江。100名を越える来場者がありました。椿さんの、アーティストの不法占拠が逆にジェントリフィケーションとして評価されていること、アートのマーケットが閉じたオークションの支配からネットのオープンな取引になることによってむしろ価格が上がったこと、一泊朝食だけで夕食のない、純粋に空間を楽しむ旅館の使い方が「片泊まり」として定着してきていることなどの話、松岡さんの使い方のデザインがますます重要であり、ヤクルトおばさんが独居老人を見舞うサービスなど空間のリサイクルにとどまらずシステムのリサイクルがはじまっているという話、成実さんからは生活の分散化という視点と考現学との関連の話など、私には非常に収穫の多いディスカッションでした。少々本江がしゃべりすぎて、wowlabの官能的な仕事について言及できなかったのが反省点。wowの映像のデモはみな食い入るように見ていましたから、いわずもがなだったかもしれませんが。

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これまでは、MEGAHOUSEを現代的な状況認識のアイロニカルな提示だと説明して終わりにすることもあったのですけれども、今回の議論を通じて、人々の空間への欲望あるいは想像力はもっと大きくすることができるはずで、それを阻害しているものが都市の空間的資源を利用する権利がうまく分配されていないことであるなら、そこに新しい回路をつくって流動性を高めればよいのではないか、そのための思考実験として、MEGAHOUSEはあるのだなとあらためて感じた次第です。

お近くの方は、ぜひご笑覧くださいませ。


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