という連載に寄稿しました。
せんだい演劇工房10-BOXの機関紙『ハコカラ通信』29号です。
挑戦的なタイトルですが、これはこういう依頼でしたので。
入手しにくいものでもあるので、記事を転載します。
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学生のころのことですが、少しだけ、演劇の制作に関わったことがあります。私は建築を勉強していたので、倉庫や体育館を仮設の劇場にする仕事。演出家や舞台監督とプランを詰め、仲間たちと夜を徹しての作業。あとは役者にすべて託して幕が開く。舞台と客席が一体となる昂揚感。全身全霊を深く巻き込む、あの濃密な熱い経験は今も忘れることができません。
作り手と観客が深く共有する演劇体験の全体性。それが演劇の魅力です。しかしそれがあまりに強烈であるためにかえって、中途半端で軽いノリの演劇ファンでいることは難しい。演劇の「中の人」となるか否か、二者択一を迫られているような気がしてしまう。観るのに覚悟がいる感じ。
このごろの落語の人気は、テレビドラマや子供番組やPodcastなんかに盛んに露出して、寄席にはいかないまでも落語っておもしろいなと思うファンを増やしたからじゃないでしょうか。操作が難しくなりすぎて、ハードコアなゲーマー以外は離れていったテレビゲームも事情が似ているかもしれません。テーマやインタフェイスを刷新した任天堂のDSやWiiが、いままでゲームをやらなかった人たちに支持されています。
演劇はフツーに好きですよ、劇場には行ったことないですけど……という人を想像するのは難しい。音楽ならそうじゃないのに。そんなの演劇じゃない?やっぱり中の人になるしかないですかね。