を読む。
一年ぐらいまえに読んだ『ナガオカケンメイの考え』の続編というか姉妹編。
人と一緒に仕事をつくっていく、そのやりかた。忙しい人が、忙しいにも関わらず仕事を成し遂げていくことの凄みについて触れられている部分が印象的。
それから、悩んだ揚げ句、ハイビジョンのビデオカメラを買うのをやめるくだりも。
考えていくと、私たちはなんでもかんでも「家」の中に持ち込み過ぎているように思いました。映画館に行かず、ホームシアター。コンサートへ行かず、サラウンドシステム。写真プリントも自宅のプリンタで。(p.262)
ナガオカは家の中になんでもかんでも持ち込みすぎているというけれど、一方で、コンビニやら中食やら深夜営業のスーパーやらで、家の外へあれこれどんどん都市に抜け出ている、という指摘もある。これは逆のようだけど同じことを指していて、要するに「家」と街の関係が昔とは違ってきた、ということだ。
ひっくるめると、ひとりでも平気なようにする、という方向性があるように思う。
内田樹だったか、消費の単位を細分化してマーケットを拡大しようとする資本主義の方向性について書いていたが、まさにそういうことだな。物質的充足の単位が、家族ではなく個人になるのだ。
消費の単位の細分化は、もちろんさらに個人の内面にも及び、ひとりの人間のうちに複数の消費マインドが併置される。あれも欲しいしこれも欲しい消費者が誕生し、その欲望は充たされ、家の中の個室の中になんでもかんでも持ち込まれてしまう。
仙台から八王子への出張のみちすがらこの本を読んで、そういえば近くではないかと思い、港北の IKEA に行ってみた。恥ずかしながら初めて。品物と価格と売り方に、それぞれ思うところは多かったけども、一番印象的だった出来事は、近くにいた客の若い女性が連れの友人に感心した様子で「けっこういいよねえ」と言った後続けて、「飽きてもこの値段ならイイしさ」と言ったことだった。そうは言わなかったが明らかに、飽きたら捨てればイイしさ、と言ったのだ。違和感よりもむしろ共感を覚えた。IKEAはそういう空間だった。
ナガオカの前著を読んでから、一度だけだけれども、九品仏のD&DEPARTMENTを訪れ、食事もして、けっこう長い時間を過ごした。いごこちのよい場所だった。ああいう店がうちの近くや卸町にもあればいいなと思う。でも、あれば IKEA にもきっと通うだろう。