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『生物と無生物のあいだ』

を読む。平積みのベストセラー。評判にたがわぬ面白さ。



福岡 伸一『生物と無生物のあいだ 』、講談社現代新書 No.1891、2007

生命とは自己複製を行うシステムである。
と、定義してみたものの、すっきりと腑に落ちることはなかった筆者が、
生命とは動的平衡(dynamic equilibrium)にある流れである。
という新たな定義にいたるまでの道のりを、分子生物学の開闢の歴史とあわせて語る。

必ずしも見てそれとわかるわけではない分子生物学の研究プロセスが、波打ち際の楼閣の砂粒とサンゴの粒と入れ替えるというような、詩的な比喩で説明される。一読ではわかりにくい部分もあるが、丹念に想像しながら、文字通り脳裏に像を想いながら読めば、そのイメージはきちんと共有できる。この感じは、サイモン シンの『フェルマーの最終定理 (新潮文庫)』と通じるものがある。もっともサイモン・シンはジャーナリストで、福岡伸一は自身が科学者であるという違いはあり、科学者の方が詩的なわけだが。

本筋とは違うけれども私にとって印象深いのは、都市の描写である。とりわけ、ニューヨークにあってボストンにはないもの、「それは振動(バイブレーション)だった。街をくまなく覆うエーテルのような振動。(p.205)」という指摘と、それに続く空間的イメージの連鎖は、大変に魅力的に読めた。このような筆致が、私には暗い分子生物学の説明においても同じくなされているのであろうと考えることはとても楽しい。

筆者がニューヨークのバイブレーションを感じていたころの、つまり若きポスドク科学者の、生活の厳しさと不安定さについても繰り返し言及がある。ちょうど水月昭道の『高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)』を読んだところでもあり、有期任用の我が身には堪える部分でもあった。

そういう道草の苦味を楽しみつつ、昔習ったままだった私の中の古くさい生命のイメージが、本書を読み進めるにつれてサラサラと更新されていくのは気持ちよかった。

生命とは動的平衡にある流れである。

この定義の素晴らしさは、それが、聞いてしまえば当たり前のことのように聞こえることだ。

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2007年12月17日 22:48に投稿されたエントリーのページです。

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