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建築設計A1 最終講評会

街中のファッションビルの「ペントハウス」と、田園郊外の「オモヤ」とのマルチハビテーションを前提として、それぞれの住宅+αを自由に企画して設計する課題。二年目。

途中、海外出張があったりして、十分にエスキスしたわけではなかったけれども、力作ぞろいで安心した。グループごとの講評が盛り上がって長引いたために、選抜作品の全体講評は総評的なものにとどまったのは残念。

おもしろい作品が多くあった一方で、必要そうな機能の部屋を単純にならべただけの作品も散見された。それではいけない。

機能の単純な集積を越えて、まとまった建築の像を結んでいる作品をつくることを意識するとよいと思う。

それができるようになるためには、この「まとまった像」を結んでいる建築をたくさん見ることだ。そして、その像を小さくスケッチに描いてみる。ダイアグラムでもいいし、パースでもいい。それから、文房具やカトラリーなど手近な品物を並べて、その建築を表現してみる。体を使って動作で表現してみる。ひとりで突然やると周囲の人がビビるから友達と一緒にやろう。

自分がつくってる建築でもそれをやる。小さく小さく全体像を描いてみる。それは建築の似顔絵とでもいうべきものだ。うまく似顔絵になるだろうか。

もっとも、うまい似顔絵にしてもらえるような、まとまった像をもったような建築をつくるということと、その特徴をよくとらえた似顔絵を描く能力を持つということは別のことで、後者の獲得にはまた才能と努力を要するものであろう。

私が建築の勉強をはじめたばかりのころ、大学の二年生で、ほぼ初めての建築の設計の課題。東京の動坂公園という傾斜地にコミュニティセンターをつくる課題だった。私は、シェルの大屋根と螺旋状のフロアを組み合わせたものをつくった。その講評会で、まあいろいろ言われたのであるが、ひとつ鮮明に覚えているのは、当時助手だった大野秀敏先生が、手元の学生の名簿の狭い欄にひとつづつ作品の小さなスケッチを描いていたことだ。

もちろん私のもあった。しかし、それは私が全然考えたこともなかった視点からみた全体像であり、しかも建築の構成上の特徴を適切にとらえていた。あー私の作ったのはそういうことだったんだーと、その切手よりも小さなスケッチを見て理解したのだった。

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2007年12月03日 21:03に投稿されたエントリーのページです。

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