ある施設のボリューム配置を検討していた一昨日の夜の会議で、「ああ、こうやればいいんだ」と一気に腑に落ちる案が生まれる瞬間に立ちあうことができた。一応解けてはいるものの魅力のない案の、マス模型をグイッとずらして、揃える線を変えたら、その場所にあった諸要素の関係性が突然新しい形で再構成された空間が顕在化したのである。
こういうときってのは、案を作ったというより、生まれるのに立ちあった、というのが実感に近い。本当に。ひさびさに。
居合わせるメンバーが、ほほぉなるほどぉという顔をしながらも、いや待て待て、浮かれるな、そんなにキレイにいくはずないぞ、と眉に唾しながら弱点を探すべく、案をスキャンしていく。が、トゲが手に触れぬまま、ひととおりのチェックをパスしていく。席を移って、模型を違う角度から眺め、もう一度スキャンする。OK。違う人になって、外を一周して、中に入り、意地悪な挙動をしてみるが、深刻な破綻は起こらない。
よいところを数える。今までどうにも馴染んでいなかった新参のビルに、新たな役割が与えられる。空き家になるビルの側面が、非常に公共性の高いファサードになり、商品価値が一気に高まる。次の入居者にはよろこばしいだろう。バラバラだった複数の飲食店が広場を囲んで一連のランチの選択肢を構成するようになる。車の処理が現状と大きく変わることがないので、新たなしわ寄せを受けるところをつくらずにすむ。改修のフェージングがごくごく単純になり、仮設店舗がまったく不要になる。コストも小さい。
フットプリントが大きく、背の低いボリュームがぼったりしてなんとも鈍くさいのが問題ではあるが、内部はメリハリあるサイズの諸室だし、ポーラスな構成にすることは可能だろうだから、この鈍重さは設計で克服可能なはずだ。こののどかな場所にこんな垂直的な都会の建築みたいのがいいかどうかってことはあるけれども。
これから、もちろん解決すべき課題は多く現れてくるだろうけれども、この形式が、ひとつのブレイクスルーであることは間違いない。
なあんて、浮かれていると足下を掬われる。チェックチェック、と。