うちの子どもが歌を習っていた音楽教室が閉じることになり,そのお別れ演奏会に行ってきた。といってもコンサートホールを借りるような大掛かりなものではなくて,教会の二階の14畳ほどの広間でのごくアットホームなものだ。
その会で,今度高校を卒業し,東京の音大の声楽科にすすむという女性が歌った。
すらりとして清楚な感じの,いかにもお嬢様らしい様子。
やや恥ずかしそうに礼をして,拍手を受ける。
ふりむいてピアニストと目配せ。ピアノの蓋は大きく開かれている。
そこまでは,手を前で結んで脚を閉じ,体重を骨で支える,ごくあたりまえの女性のかわいらしい立ち姿だった。
ピアノのイントロが鳴ると,彼女はすっと一瞬で,しかし大きく,体の構えを変えた。
脚を肩幅ほどに開き,ひざをわずかに曲げて腰を落とし,全身を骨ではなく筋肉で支える。
肩を引きぎみに落として,ひじを胴に寄せて腕を広げ,手は自然にまるく開く。
腕をゆっくりと上げながら深く息を吸うと,
眉間にしわを寄せて一瞬溜め,
直後首をふわーっと膨らませて,最初の声を出した。
蓋を開いたピアノに負けない声量が響いた。
歌の間ずっと,彼女はその構えのまま歌い,
歌い終えると途端に,また憑き物が落ちるようにもとのお嬢様に戻ってしまった。
リラックスしていた格闘家がリング中央に進み出てすっと臨戦態勢に入るときのように,体の構えが一瞬で張りつめる。その変化が想像よりもずっと激しかったので,目の前で見ていた私はとても驚かされた。
演奏会の最後に,先生が一曲歌われた。
さすがの歌声であった。
なにより,その体の構えの変化は,確かにあるのだが,自然で滑らかで穏やかであった。
歌えるようになるということは,このような滑らかな身体の操法を身に付けるということなのだろうと思われた。彼女はこれからも練習を積んで,それを会得することになるのだろう。