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外部講評会

OBで在仙の建築家5名をむかえ,卒業設計と修士設計の選抜作品を対象とした外部講評会が行われた。

卒業設計の青葉賞には石鍋羅馬さんの「映画の巣」,修士の最優秀には茂木晃さんの「高層現代美術館」が選定された。いずれも丁寧につくりこまれた秀作で,完成度も高い。他の作品も総じて充実しており,レベルは高かったと思う。


それにしても,あの発表の下手さはなんなのだろうか。

ひとことでいうと,弁解っぽいのである。

発表の持ち時間は限られている。その中に,明らかに核心から離れた,ネガティブチェックをパスするためにしかならないような,細部を延々と説明してしまう。

質問に答えるときにも,まず弁解から入る。長い弁解をしているうちに,質問への答えが失われてしまう。

発表にせよ質疑にせよ,弁解めいた話が延々と続くので,提案の核心がまったく見えてこない。

案をまとめるにあたって,想像しうるかぎり網羅的に弱点をチェックしておかなければならないことは当然だ。しかし,発表の時には,そういう細部は触れる必要はまったくない。大事なことをまず云い,それを理解するための文脈の説明をする。順番はこれ以外ではありえない。わかってもらえていないようなら,さらに大きな文脈の説明が必要になるかもしれない。

質問に答えるのに,文脈の説明からはじめてしまい,その説明が下手なために会場が???となったのを見て取って,さらに周辺の文脈を説明しはじめてしまう悪循環に嵌まり,とうとう核心には到達することができないという場面を何度も見た。

核心が何か,自分でもわかっていない。
核心などそもそもないのを糊塗している。
などの可能性もあるのだろうが。

もっとも,「核心」などというものは,あらかじめあるわけではなくて,表現されるときにはじめて出現するようなものであるから,それがいつまでも姿を現そうともしないことに,私はいらだっているということなのかもしれない。

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2007年02月18日 08:57に投稿されたエントリーのページです。

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