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2007年09月 アーカイブ

2007年09月01日

トコロアサオさん

のハウスレクチャを聞いてきた。

トコロさんの名字は「野老」と書く珍しいものなのだけど、これは埼玉の所沢の由来にもなった芋の名前で、海老が腰が曲がっているように、野老はしわくちゃの芋なんだそうで、その葉がハート型で、それを抽象して野老さんのシグネチャーマークであるハート型を作った、というような話から始まり、江頭慎、IZA+、クルト・シュビッタース、テクノ、オプアート、P-Scope、柄紋図、倉敷でのコラージュ、塩竈菅野美術館の作品について、立体は楽で平面は嫌い、9.11のインパクトなどなど、様々なレベルにある多くのトピックが断片的に次々と語られ、それらのモザイクのようにして野老さんの仕事の総体があるということを、あらためて理解した。いずれ、野老さんがGarageBandでつくる文様の音楽、ぜひ聞いてみたい。

僕は『オフィス/アーバニズム』のときに、はじめて野老さんに会った。仕事をみた最初の印象は、幾何学的な文様やアイコンやピクトグラムをクールに仕上げたグラフィックデザインのように見えるけれど、でもちょっと「濃い」というか、ネチネチした感じもあるなあというものだった。

いまでもよく覚えているけれど、野老さんが『オフィス/アーバニズム』で使いましょうと、「トム君」と称するピクトグラムを持ってきた(モデルはトム・ヘネガンらしい)。そのファイルが、仕上がりの見ためよりずっと重い。不思議に思いながら開いてみると、これが全然単純化されたピクトグラムではなくて、関節から何から身体の構造が、びっしりとグループ化されたオブジェクトになっているのだった。抽象度を保ちつつ、豊かな表情のピクトグラムをたくさんのバリエーションでトム君たちを産出できたのはその構造のおかげだ。そのファイルを見ながら、ああ、野老さんってこういう人なんだな、と妙に腑に落ちたのだった。

野老さんの仕事は、tokolo.comで惜しげもなく公開されている。

9月9日(日)の午後に、菅野美術館で野老さんのギャラリートークがある予定。本江はファシリテータを務めるかも。詳しくは続報にて。

CASIO MS-6

ポエトリー・デザインの記事で見て、ずっと気になっていた電卓をやっと見つけた。

実によい。

2007年09月03日

「縮小する都市」についてのメッセージ

を函館の渡辺保志さんが募集しておられます。

npo-kobo:blog: 「縮小する都市」についてのメッセージ募集:

今秋、11月23日から25日までの3日間には、函館市内で展覧会「shrinking cities x hakodadigital——縮小する都市の過去・現在そして未来」を開催することになりました。これは、昨年私が協力したドイツ・ベルリンの建築家グループによる「shrinking cities」プロジェクトによる世界の縮小都市に関する調査研究の成果や、函館に眠っている様々な文化資源のデジタルアーカイブの展示やデモ、あるいはワークショップなどを通して、いま函館が直面している都市の縮小に対して、市民一人ひとりが何を考え、何ができるかを問い直していく、そんな趣旨の場づくりを目指しています。

この企画の中では、函館市民や、その他函館と何らか縁のある人々を中心として、上記のようなテーマについての考えを、「メッセージ」として募り、会場で展示する予定です。そこで、私がこれまでお世話になってきたみなさんにも

・都市や社会の「縮小」について、日頃感じたり、考えたりしていること
・都市や社会の「縮小」に対して、自分ができる(やってみたい)こと
・函館、またはお住まいの都市に対しての、何らかの具体的なアイデアや提案

——といったことを、ぜひメッセージとしてお寄せいただきたいのです。

函館が現在直面している人口減少や市街地の空洞化、産業の衰退という出来事は、決して函館に特有のことではありません。これから、日本の社会全体がたどる未来の縮図です。だとしたら、函館を手がかりに、縮小に対してよりスマートに対応するための知恵を、多くの人々が持ち寄り、そこから新しいプロジェクトを創造して、函館から全国へと発信できる可能性もあると、私は確信しています。
(中略)
縮小というネガティブな現象を、ポジティブな未来へと転化していくためのたくさんの知恵が集まることを期待しています。

危機をあおるばかりでなく、それを逆手にとって、場所の価値を高める企てへのコミットメントを促そうという趣旨には強く共感するところがあります。

以前撮った写真のことを思い出したので、私からはそれを送ることにします。

みなさんもぜひ!

2007年09月05日

Dean Kamen の義手

セグウェイの開発者がつくった、精密に動作する義腕。
デモビデオは4分30秒ぐらいから。

via 本物の手のように動く義手の映像 [動画.jp]

2007年09月11日

『新スケープ 都市の異風景』

を読む。




誠文堂新光社『新スケープ―都市の異風景』誠文堂新社、2007

副都心のビルは人工物の中でも大きな部類に属するため、壮大な自然のスケールには劣るが、それに近い存在として「そこにあるだけ」と感じることができた。(p.41)

「東京」を遠く遠巻きに見る。
かゆいところに手を伸ばさない。

寒河江高校メイフラワーカレッジ

に出向くための準備中。
高校1、2年生むけのレクチャー。

ひとりで喋るのはつまらないので、生徒の皆さんにもたくさん発言してもらいます。

工学部の営業用のスライドを持たされた。
むやみにアニメが入ってウダウダしてる。
明日はこれを見せる時間はない。

追記(2007.10.3)
受講生のみなさんから感想を送っていただきました。
ちゃんと「建築」の多面性を実感していただけたようで、
安堵するとともに、嬉しく頼もしく思いました。
建築を志すと書いてくれた生徒さんもいらっしゃいました。
ぜひ、東北大学を受けてください。
お待ちしております。

2007年09月13日

『「結婚式教会」の誕生』

を読む。




五十嵐 太郎『「結婚式教会」の誕生』春秋社、2007

研究対象そのものに深みも広がりも無い場合には、どこから光をあてるかだけが問題になる。

2007年09月14日

聞きなし

ラジオで詩が読まれていた。
誰のなんという詩なのかわからないのだけれど、
「ててつぽうぽうの声がする方から」という一節が聞こえた。

ててつぽうぽう

鳩だ、とすんなりわかった。

初めて聞く表現だったけれど、いわれてみれば
たしかに鳩は「ててつぽうぽう」と鳴いている。

鳥の声を人の言葉に置き換えて覚えやすくしたものを「聞きなし」というのだそうだ。
「見做す」のと同じように「聞做す」のだ。

参考: 鳥の聞きなし

自らをも疑う姿勢

Junkmailfromapple

2007年09月17日

『夜露死苦現代詩』

を読む。近所の書店の詩のコーナーにあった。




都築 響一『夜露死苦現代詩』新潮社,2006

痴呆老人の独り言、暴走族の刺繍文字、玉置宏のイントロ曲紹介、「夢は夜開く」のバリエーション、死刑囚の辞世、日本語のラップ、餓死した老人の日記、エロサイトの煽り文句、見せ物小屋の口上、点取り占い、あいだみつを、などなど、「プロ」には「詩」とはみとめられないけれども、リアルで切実な言葉を集める。強烈なフレーズの数々。俺達にはもっと詩が要る。

MarsEdit 2.0

MarsEdit 2 - Powerful Blog Publishing For Your Mac
TidBITS 日本語版 #895/10-Sep-07で紹介されていたブログのエディタ。ectoのライバルにあたる。
私は現在のecto2でほとんど満足しているが、まあ、新しいものは試してみたい。
ツールバーのMediaから先の、Flickrとのリンクが簡単なのはいいかも。 WINEstudios, GrapeCity inc.

2007年09月19日

特集:デザインと競争力

ということで手に取る。

東洋経済新報社『一橋ビジネスレビュー 55巻2号(2007年AUT.) (55)』

日産の中村史郎や慶応の奥出直人などが寄稿。

当たり前のことしか書いてないと思う人と、
何が書いてあるのがサッパリわからんと思う人とに、
きれいに分かれてしまうのではないか。
経営者もデザイナーもどちらも。

それぞれの論考は面白く読めるけれども、
隔靴掻痒の感がある。
なんだろうなあ、これは。

深澤直人のインタビューもあり、いつもの同じような話ではなく、経営者とわたりあう作法を語っていておもしろい。

あわせて読むとおもしろいんじゃないかと思って、佐藤 悦子『SAMURAI佐藤可士和のつくり方』も入手したところ。

いずれも吉橋先生のところで取り上げられていたもの。いつもありがとうございます。
Information Design?!: デザインと競争力
Information Design?!: SAMURAI 佐藤可士和のつくり方

雛壇オフィス

ある大会社の新しいデザインセンターの写真をみせてもらう。竣工したてで、まだ家具などは入っていないがらんどうの状態ではあるが。

近く発表されるはず。施設の性質上、使い始めたら見学は無理だろうな。

一体感のあるオフィス空間をいかに立体的に獲得するか、という問題への回答。

100×80mのフットプリントの上に、ゆるやかな雛壇を成すように7枚の床を重ねる。
その雛壇と同じ勾配で、ガラスの大屋根を架けて、斜めの巨大なアトリウムを成す。
掛川市庁舎は短手の段々だが、これは長手が段々になっている。プラスチックのカバーがついたままのの七枚歯の安全髭剃りをご想像いただきたい。
雛壇は南面している。北側は垂直に裁ち落とされていて、部分的に垂直なアトリウムもある。
延床2万平米。今は1000人。いずれ2000人を収容。

一番底はギャラリーで、自社の開発中の製品や、競合の製品がならぶ。
各階の段鼻の部分は、アトリウムに開かれたコミュニケーションスペースになっていて、どの階からも斜めにずっと底のギャラリーまで見下ろすことができる。ガヤガヤした声がアトリウムに響くのだろう。

雛壇てのは、平土間とは違って、グループ全体のまとまりと同時にひとりひとりの顔をハッキリと見せるための集まり方を可能にする形式である。ひとりひとりの顔が見えるのは、皆同じ方を向いているからだ。

この雛壇オフィスは、全体のまとまりのなかで、それぞれよく見える個々の顔が、揃って同じ向きを向く、そういう空間の形式を持ったオフィスとして構想されたものなのだろう。まあ、比喩だけど。

比喩ついでにいえば、本物の雛人形でも記念写真でもいいのだけど、その雛壇の同じ向きの視線の先で、その視線を集め受け止めているもの、「カメラ」に相当するもの、それが何かてぇのも考えとかないとな。空間の設計者は、ついつい、断面の形式がよくわかる位置に、つまりカメラじゃないところに、身を置いてしまうんじゃないかと思うので。

大きなワンルームに多くの人を同時に収容する建築は増えてきているように思う。そこに集まる人々の顔の見え方と向き、そのばらつきに注目して、集まり方のタイポロジーを考えてみることには価値がありそうだ。

2007年09月20日

建築により複製し

はてな で出てた質問。

自主映画で絵になる建物を背景に撮影していたところ、建物にも権利があるから駄目だといわれました。撮影場所は敷地外でした、しかしクレームがつく前に撮った数カットの芝居を生かして編集し、上映をしようと思います、建物のオーナーから削除せよのクレームが来た場合の処置と、それを無視した場合の罪の度合いはどのようなものでしょう。

答え: 

 第3  建物、彫刻、オブジェ これらは外気にさらされており、誰もが勝手にスナップ写真を撮っていたりします。ところが、これらも、皆、芸術家や建築家の創作物に他なりません。そうした創作物を、個人的な趣味で、一時的な撮影の背景に使うと言ったことは問題になりませんが、その創作物の模造品を作るといったことをした場合は、著作権違反となる危険があります。建築には意匠があり、それはまさに思想や感情の創造的な表現です。建築も、オブジェも、単なる石に見えるものでも、時として芸術になるのです。同じ物を作るなどすると著作権法に違反することにもなります。写真を撮ったり、その姿を間接的に利用するのはかまいません(著作権法第46条) また、美術館などで撮影禁止になっているようなオブジェのときは特に気を付けましょう。

弁護士のアシスト 著作権(強調表示は引用者による)

文中で論点がふらつくので読みにくいが、要するに、写真を撮影して利用することは問題ない。
ただし、同じ建築をつくると著作権の侵害になりうる。
もちろんそこには「同じ建築」とは何か?という哲学的な問いが生まれる。

件の著作権法第46条は下記のとおり。

(公開の美術の著作物等の利用) 第46条 美術の著作物でその原作品が前条第2項に規定する屋外の場所に恒常的に設置されているもの又は建築の著作物は、次に掲げる場合を除き、いずれの方法によるかを問わず、利用することができる。
1.彫刻を増製し、又はその増製物の譲渡により公衆に提供する場合
2.建築の著作物を建築により複製し、又はその複製物の譲渡により公衆に提供する場合
3.前条第2項に規定する屋外の場所に恒常的に設置するために複製する場合
4.専ら美術の著作物の複製物の販売を目的として複製し、又はその複製物を販売する場合

著作権法(強調表示は引用者による)

同じ建築を作るってのは、「建築の著作物を建築により複製する」こととされている。
「建築により複製」ってのがイイな。
いろんなものを建築により複製してみたい。

建築には肖像権もないが、別の権利を主張される場合がありうる。

問題となりうるのは、顧客誘引力のある著名な建築物の映像を意図的に利用する場合、建物の所有者が所有権やパブリシティ権を主張するケースがあることです。建物についての判例は見あたりませんが、ホテルのシンボルとして使用されていたクルーザーの写真が雑誌に無断で掲載されたことについて、ホテルの信用及び名誉が侵害されたとして損害賠償請求が認容された裁判例があります。

権利に関するQ&A

via ※男(こめおとこ)の日記:白泉社×人力検索はてなの本『幕府を作りたいのですが』のブログ - 2007-09-14

2007年09月21日

『京都の平熱』

を読む。仙台市の奥山さんに教えていただいた本。




鷲田 清一『京都の平熱 哲学者の都市案内』講談社、2007


京都生まれの著者が、市を一周する市バス206号線にそって、記憶をたどりつつ、語る都市論。いわゆる名所はひとつも出てこない。よさそうだな、と思う場所はたくさん出てくる。でもそれはそのまま私の場所ではないな、とも思う。

都市はいま空襲を受けている、と鷲田は言う。

ときに力を合わせ、ときに諍いあいながらも、ともに大地に張り付くようにして生きたひとびとと、同じ地域の高層ビルのなかに住まいながら、互いの暮らしぶりを見ることもなくただ各階で同じレイアウトの空間に生きているという抽象的な事実をしか共有してこなかったひとびととが、コミュニティの意識を共有するというのは至難のことである。同じ地域に仕事場を持ちながら、地域の運命を共にしてきた商店街のひとびとと、どこか別の場所にある中枢にコントロールされつつ、地域から浮いて(いつでも別のより営業効率のよい場所に移る準備のできている)巨大企業の社員たちとが、同じコミュニティの意識を持つというのも、至難のことである。 コミュニティの意識というのは、それぞれの身体空間を、あるいはまなざしを、日常的に、緩やかに交差させるなかで生まれる。寒暖、風雪、はたまた災害を同じようにしのぎ、たがいの辛苦を慮るなかで醸成される。が、いま地域を見舞っているのは、人々の過剰なまでの分断である。(pp.61-63)

琵琶湖疏水を指揮した田辺朔郎や、平安神宮を設計した伊東忠太は、どちらも当時二十歳そこそこの若者であった。彼らを抜擢して大事業につかせた明治という時代は、「社会にいっぱい隙間があった時代」だった。

ここにいて遠くのだれともつながることのできる情報媒体をわたしたちは手に入れた。けれどもはたしてそれで世界は広がったのか。子どもまでケータイやインターネットを駆使できるようになったのに、皮肉なことにコミュニケーションはどんどん内向化し、その圏域はどんどん狭まってゆく。交信相手はかぎられ、そのかぎられた人と脅迫的なまでに繰り返し繰り返し交信する。世界を開くはずのメディアを手にすることで、世界はますます小さく閉じてゆく……。 これならケータイなどもたずに見知らぬ土地に出かけたほうが世界は広がる。見ず知らずの人に道を訊ね、地のものを食わせる店がないか訊き、食べ終えたらお店の人にいろんなことを教えてもらうほうが、うんと世界は広がる。社会に大きな隙間を開ける作業、さてどこから手をつけたらいいものか。(p.114)

碁盤の目の道のどこにいても山が見えるから、京都では方位を見失うことがない。

景観というのは、移動という運動のなかでのそういう光景のめくれというかたちで(あるいは流れるように脇で目に入っているらしい光景の断続という形で)身に刻まれるものであって、けっして正面に立ってこの景観はすばらしいというように感得されるものではないのである。たたずまいとは元来、そういうものである。都市とはそれぞれがじぶんで「書く」ものなのである。(p.164)

子どもを「育てる」のではなくという言い方が好きではないという。子どもが自然に勝手に「育つ」というのがいい。

現代の社会には、そういう「自然に育つ」場所が本当に少ない。「自然に育つ」というのは、無視する、放置しておくということではない。子どもが勝手に育つような「場」がしっかりあるということである。 よその子どもたちを見て見ぬふりをするおとなたちが、かつての地域にはたくさんいた。 いまは、ちゃんと見ないで、見たようなことを言うひとが多すぎる。(p.217)

見て見ぬふりと、見ず見たふり。

ハイパーメトリックな社会は、前者を価値ある行動としてカウントすることができない。後者はカウントできてしまう。だから皆それをしようとする。価値なんかないのに。

さて、傍線だけでなくて、文そのものを書きとめておこうと思う部分がたくさんある本をひさしぶりに読んだ。タイプしてみると、「じぶん」とか「けっして」とか、漢字を開いて使っているところが多いのにあらためて気付かされる。ローマ字でタイプして、私の学習履歴が染み込んだ辞書で変換すると、第一候補はことごとく漢字になってしまったので、分節を移動しながら、かなに開いていかなくてはならない。カーソルを動かしながら、鷲田の「声」が意識された。

2007年09月25日

レゴの向こうに


» Lego advertising/design goodness - advertising and design blog
via 【世界のおもしろ広告】 LEGOの写真広告 | P O P * P O P


レゴの面白さをとてもスマートにあらわす広告。
リンク先には他のバリエーションもあり。

想像力がものをいう恐竜の造形つながりで、折り紙の「ステゴザウルス」のことを思い出した。

折ってみた。

だれから教えてもらったのか忘れたけれど、一番好きな折り紙のひとつ。

2007年09月27日

大学院に出願する前に英語の試験を受けておこう

大学院試の英語の試験をTOEICやTOEFLに置き換える動きがある。
私のいる専攻もそうしはじめた。

が、これには落とし穴がある。

出願時に公式なスコアシートが必要になるのだが、TOEICやTOEFLの試験はそれほど頻繁に行われるわけではないので、大学院を受けることに決めた時点では手遅れになる場合があるのだ。出願時までにスコアシートを用意することができなくなってしまうんである。

TOEICやTOEFLにはいろいろなやり方のがあるようで、本人確認のプロセスの違いなどから、同じTOEICでも特定の種類の試験結果でなくては受理しないということもある。

大学院を受けるつもりなら、早めに要項を調べて、英語の試験のシステムをチェックしておくことをお勧めする。

2007年09月28日

『佐藤可士和のつくり方』

を読む。


佐藤 悦子『SAMURAI佐藤可士和のつくり方』

著者は、アートディレクター佐藤可士和の妻にしてマネージャー。
常に方法を意識しながらメタレベルからプロジェクトを見つめる立場を貫く。

オフィス作りの話にも一章割かれている。
独立後、ふたつのオフィスは極めてタイトフィットで、ひとりもスタッフを増やすことができなかった。そこで三つめのオフィスは、「十人増えても大丈夫な空間」が目指され、実現された。

先の二つのオフィスを手がけたときは、「設計した時点の条件で完成するデザイン」でした。それはそれとして美しく、完成されたデザインですし、コンセプトも明快に伝わっていましたが、ちょっとでも動かしたら壊れてしまうという点においては、繊細で弱いクリエイティブだったと言えます。誤解を恐れずに言いますと、オフィスという空間に求められる条件を満たしていないという意味では、失敗だったと言っていいかもしれません。 でもそれは必要な体験で、自分自身が経験したからこそ、今度はフレキシブルで耐久性のある空間をつくることができるようになったのです。後に佐藤が「カタチで完結するのではなく、理念で完結する。その考え方を手に入れられたのは、ものすごく大きい」と話してくれましたが、実はこれこそ、ブランディングにおける本質といえるのではないでしょうか。(pp.166-167)

ひとりのクリエイターが自分だけで管理し続けることはできない。「多少のことでは壊れない“耐久性のあるシステム”をデザインする」ことが必要だ、という意識を、オフィスのデザインを通じて獲得したというわけだ。

リテラシーが必ずしも高くない組織が使ったとしても、グデグデに崩れていってしまうことのない、強い「耐久性のあるシステム」をもったワークプレイスのアーキテクチャーを構想すること。これは、今私が取り組んでいる仕事でも痛感し、これをやらないと仕事をしたことにならないと主題化されつつある課題なので、共感するところ大であった。

とはいえ、スーパータイトフィットを経験してから緩めるのと、ガバガバの経験しかないのを締め上げるのとでは、ベクトルが全然違うのもまた事実。
とはいえ、真逆のものはかえって似てくるのもまた事実。


こういうマネージャがいるってのは羨ましいなあと思うが、まずはひとり二役で二重人格的にやるよりほかないわな。

HIスマートウォール


【技術】柱、梁、袖壁をなくした全面窓のマンション、鹿島が開発|ケンプラッツ

鹿島のプレスリリース

RC壁式構造を免震にして14階建て。
全体のプランをY型にしてバランスを取っている。

スチレンボードの模型がそのまま立つのだ。
見てみたい。

2007年09月29日

PARK(ing)

PARK(ing)

路上のパーキングロットを借りきって、一時的に小さな「パーク」をつくるプロジェクト。
ゲリラ的にやるのではなくて、当局と交渉してからやっているようだ。もちろん、パーキングの代金を支払っている。君もやってみようって感じで詳細なマニュアルがあるのがおもしろい。

こういうのはピクニックとは違うんですか?>誰となく

自分たちで楽しむこともさることながら、通り掛かりの人に使ってもらうことも企図している点に共感。

via PARK(ing) Day

About 2007年09月

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