を読む。入手したのはかなり前だが,あまりのボリュームゆえ,なかなか手につかなかった。
建築家ハワード・ロークを主人公とする大長編小説。モダニストであるハワード・ロークは,自らの信じるところに従って,欺瞞的な装飾を一切排した超合理的な設計を行う。しかしそれはなかなか理解されず,ロークは干される。干されるが,くじけない。数少ない,しかし強力な理解者を得て,ロークは自らを決して失うことなく成功する。そういう物語である。
自己犠牲を強いる集団主義に対して,自らの意志をこそ徹底して尊重する個人主義こそむしろ道徳にかなうのだというロークの,すなわち筆者の主張は,この小説が執筆された冷戦下の世相をはっきりと反映している。アメリカはソビエトより正しいのであり,アメリカ人は近代的個人として生きるべきである。世間の是認を求めずにはおられぬあまり結果として奴隷的な行動を余儀なくされる人々と,自らの内なる意志のみに基づいて行動する強靭な魂をもった近代的個人とが,くりかえし,図式的に対比されて提示される。
ハワードとピーター。建築家は,偉大な個人であり創造者であると考えられつつ,同時にきわめて世俗的な権力の犬でもあるとされてきた。この構図は映画『華麗なる激情』においても,ミケランジェロとブラマンテとの対比的な構図に示されてきたものにほかならない。
翻訳はいかにも直訳調で読みにくいが,次第に慣れ,やがては快くさえ感じられるようになる。いかにも1940年代らしい絢爛たる長広舌に堪えられるなら手に取ってみてもいいだろう。
私個人は必ずしもロークやワイナンド,ドミニクの生き方には共感できないと感じる。かといって,自分がピーターやトゥーイーかといえばそうともいえない。あえていうならスカーレットかマイクだなと,いささか自嘲気味に思う。そして,その自嘲が尊大な自意識の裏返しであることも十分に自覚しているのである。