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悪いことをした人を叱るのではなく,悪いことをできないようにするという方法

を「環境管理」という。環境知能シンポジウム2006で東浩紀の発言。規律訓練型から環境管理型へと権力のかたちが変化してきているという。

「Googleの強大化」は我々に何をもたらす?——NTTがシンポジウムを開催:日経パソコンオンライン:
 「環境管理」という概念を持ちだしたのは、哲学者の東氏。環境管理とは、「人間を信用しないで、社会秩序を維持しようとする方法」(東氏)で、具体的にはICTを含めた環境側が人間をコントロールすることを指す。実社会を見てみると分かりやすい。20世紀の前半までは、人間に規律や訓練を課すことで、社会秩序を維持しようとしてきた。しかしそれだけでは必ずしも十分ではなく、統一的な価値観で人間をまとめることの危険性も認識されてきた。

 20世紀後半からは、人間の多様性を許容し、価値観を押しつけない社会へと変わってきた。同時に、人間の自由な意志に期待せず、環境側を変えていくことで社会を維持していくという、環境管理型の考え方が生まれてきた。例えば「飲酒運転をさせない」という目的を達成するために、従来の「酒を飲んだら運転しない」という規律だけでは十分ではなく、環境管理型社会に移行しつつある今は「呼気のアルコール濃度が高いと発進させない車を作る」という策が採られるようになってきている。

『空間管理社会』で述べられていた,「自由な空間」に生じる「空間の自由」の抑圧に通じる話。

環境管理的状態=空間の自由が抑圧された状態が不愉快なのは,「信用されていない」と感じるからだろうか。信用されていないことの不快と,自由にふるまえないことの不快。前者は「子供扱いすんな!」ってことだから,子供はそれを不快に思うことはない。

さて,ユーザビリティでいうところの,間違えることのできないデザインというのは,「環境管理」的デザインでもある。たとえば,3.5インチのフロッピーディスクは正しい向き以外では挿入することができないようになっていた(試してみて欲しいところだが,もう身の回りにはないかもね)。「人間を信用しない」というところがキモ。「人は間違えるってことを前提にデザインする」というのは優しいようでいて,人を信じていないわけである。

組織運営がうまくいかないときに,当事者を叱らないでシステムを変えようとしてしまうことがある。そのほうが一般的で抜本的な解決であると考えられるからだけれども,もうひとつは,当事者を直接叱るのは面倒くさいし辛いことであるからでもある。別の言い方をすれば,叱るのは相手を基本的に信じているからで,叱ってもどうせダメだと思う相手を叱ることはない。

最近,誰かに叱られたことある?

コメント (4)

以前紹介されていた液体石鹸入れ
http://www.motoelab.com/blog/20060808130800.html
を見たとき、ああ、この製品は不信のメッセージを出してるなあと思ったのです。子どもだってそれは不快だと思うんです。
しかし、難しいですね。時と場合によるし。

あねは:

 ユーザビリティとか生態心理学の応用を考えるときにいっつも引っかかってた違和感って、、これだったんですね。

イリヱ:

ごぶさたいたしております。

「環境管理的状態」への批判が少ない中で、こうした異議申し立ては必要だと思います。
わたしが感じる違和感は、「根こそぎ感」というか、全員その制約を受けるという点です。

ただ、一方で、「環境管理的状態」の持つ清潔さ(あいまいな状態のなさ、恣意的な権力が介在しにくい)などの利点もあるように思います。

IT社会が、だれでも情報発信という言葉で集約される段階を超えて、可塑的なアーキテクチャ社会というIT社会の第二幕が現実化しているような気がします。

人を信じない環境をデザインして涼しい顔をするなよ、という呼びかけも確かにすごく大事だと思うのですが、もう一方で、「環境管理」のデザインをする過程の民主化(市民参加かもしれないし、オープンソースをもっと広くとらえたような運動かもしれないですが・・)が必要な気がします。

というような点は、本江先生には十分検討済みのような気もしますが、あえて、問題提起としてコメントを書かせていただきました。

ところで、8月末で会社をやめ、研究者を目指すことにしました。
はじめたブログに、いきさつなどは書いています。
http://hirie.sakura.ne.jp/about/

よろしくおねがいいたします。

もとえ:

ごぶさたしてました。ドクターへの道,がんばってください。

「根こそぎ感」や「清潔感」というのはおもしろい言い方ですね。なるほど。たしかに清潔感が好まれているんでしょう。叱るのは泥臭いから。

しかし,環境管理システムを民主的に構築するというのはなかなか難しい課題ですね。不正な環境管理システムを作れないようにするメタ環境管理システムが要請されて,簡単に無限後退しそうです。

無限の信託をうけた神官が作るしかないのかもよ。

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2006年09月26日 23:25に投稿されたエントリーのページです。

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