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東大駒場の文化人類学の教授による大学の内幕話。エスノグラフィならぬエスノグラフィティと名乗っているだけあって,それを言っちゃ身も蓋もないだろうよと思うような話も少なくないが,でも建前以上のことを言おうとすればこうなるしかないんだろうなと思われた。私は工学部出身だが実験系ではなかったから,文系の教養学部のケースであっても共感できることの方が多かった。
ゼミの発表で論文を朗読させるというのは新鮮だった。
発表と言えばインタラクティブなものであって,原稿の棒読みはよろしくないという先入観があったので驚いたのだが,言われてみれば,英米系の研究者には原稿を(ただし棒読みではなく朗々と)朗読するタイプの発表者が少なからずいるのを思い出した。朗読形式による発表は,「口頭の発表であっても書き言葉が持つ確定性といったものを引き受け,あれやこれや言い変えたり(ママ),語尾を濁らせてぼかしたり,といったことによるあいまいさを避ける」ためだというのだ。
この方法は,とりわけ博士論文執筆中の学生だけを集めた"Writing -up Seminar"で有効だそうだ。これは書いてきた博士論文の一章を一時間かけて読み,聞いた院生たちがコメントするという「閉鎖的」なゼミで,文章朗読形式による発表には「考えていることを文章のかたちではっきりさせる」という利点があるという。「こういうことを書こうと思っている,と博士論文の偉大な構想ばかり述べ立てて,なかなか書かない,という学生」の「病弊を断つ」というのだ。まさしく私はこういう「尿道性格」の学生であったから,こうした方法もありえたのかと感心した次第である。
著者が博士論文の執筆に行き詰まって暗い気分で歩いているとき,通りがかった友人が「書くことだけがお前を助ける」とだけいって去っていったというエピソードが語られる。
「書くことだけがお前を助ける」
論文と課題に取り組むすべての学生に聞かせたい。