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BT Watch

美術手帖を観察……ではなくて,Bluetoothで携帯電話と通信する腕時計の試作機。着信やメールの受信をバイブと画面表示で知らせるもの。携帯電話の画面だけ切り離して腕に付けるイメージ。

これが実験機にもかかわらず,ちゃんと腕時計らしくできているという紹介記事。

いい時計を作りたい。かっこいい最新の腕時計ってどんなものだろう。時計屋のノウハウと意地をかけ、それを追い求めていった延長線上に出来上がったのが、このBT Watchなのだ。

ここには,なんとも割り切れない態度というか,不思議な両義性があるように思われた。

超多機能化した携帯電話が「凝集したデバイス」であるのに対し,局地的な無線技術(あるいは身体そのものを通電体として用いる技術)によって,これをバラバラにして「散開するデバイス」を身体規模で展開しようという方向性がある。モバイル・コンピューティングの基本的な姿勢だ。メモリやプロセッサとは切り離して,インタフェイス機器はそれぞれの器官の近くに据える。たとえば携帯電話はイヤホン+眼鏡とCPUに分かれる。CPUはベルトのバックルなり,靴のかかとなり,奥歯なりに仕込まれることになろう。インタフェイス機器はなるべく小さく気にならないのがよい。究極的には神経系に直結したい。

一方で,伝統的な腕時計という形式を踏襲することで,携帯電話と同様の「凝集したデバイス」の枠組みを指向してもいる。伝統的な腕時計の魅力は,その凝集性にあるだろう。

BT Watch は,インタフェイスの散開を実現しつつ,同時に,モノとしての凝集性を指向しているわけだ。

これをある種の割り切れなさと感じたのだが,考えてみれば,こうした両義性は人工物の設計において一般的な問題だといえるのかもしれない。たとえば都市計画においても,電子機器においても。

散開しつつ凝集する。両者の関係性こそが,設計の課題になっているのだろう。

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2006年03月22日 09:33に投稿されたエントリーのページです。

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