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『Ex-formation 四万十川』

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原研哉ゼミ『Ex‐formation 四万十川』中央公論新社,2005

ムサビの基礎デザイン学科原研哉ゼミの2004年度卒業制作集。ちょうど,宮城大学の空間デザインコース卒業制作展を見ての帰り,書店で見かけて求めた。昨日は東北大学の卒業設計の講評会に行ってきたこともあって,ゼミの展開について考えているところでもあったので,なるほどこういうゼミの展開もあるんだな,と思いながら読む。同じようにはできないだろうけれど。

さて,「知ってる,知ってる」と我々はよく口にする。が,これは話を少しも進展させることはない。「わかった,わかった」が,もうそれ以上言うな,という意味であるように,「知ってる,知ってる」は「ある種の達成感をはらんで発せられるせいか,それは相手に別の知識の披露を促すか,話を終結させて別の話題への転換を誘うように機能している。(p.9)」どうやら「情報を発信する側は断片的な情報を受け手に投げ合ったえることのみに熱心になり,受ける側はそれらを受け止めることを一つのゴールと考えるようになった(p.10)」んじゃないかというわけだ。

そこで,「『知らせる』のではなく『いかに知らないかをわからせる』。そういうコミュニケーションは可能ではないか」という問いが立てられる。「『知らせる』のではなく『未知化する』ための情報のかたちや機能を」デザインしようというのである。

このゼミの課題に14名の学生が卒業研究で答えた。その作品集である。モチーフは四万十川だ。学生らしい甘さも,切れ味のよさも,どっちも感じられる作品が8つ。「もし,川が道だったら」や「足形スケープ」が特に印象に残った。どちらも新しい「定規」をあててみるという構造をもった作品だといえる。

私は四万十川には行ったことがなく,清流でカヌーが楽しそう,沈下橋ってのがあるらしい,という程度の紋切り型の理解しか持っていない状態であった。そこで,これらの作品に触れ,様々な知識を得て,四万十川のことを以前よりも「知った」と感じた。フツーに「知った」。知らなさを思い知った,という感触はもてなかった。おそらく,未知化されて驚くほどには,あらかじめ知ってさえいなかったし,知らないことに自覚的であったからだろう。

知れば知るほど知らぬを知る,というのはあたりまえなんじゃないのかなあ,とも思ったし,本書をさっと読んだ感じでは,原のいう「既知を未知化する」というコンセプトのコアをつかむことが出来なかったような,うなぎを逃がしたような,なんだか残念な気がした。

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2006年02月21日 15:14に投稿されたエントリーのページです。

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