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鈴木 博之,『場所に聞く、世界の中の記憶』王国社,2005
建築史家鈴木博之のセンチメンタル・ジャーニー。『Pen』の連載をまとめたもの。
私たちが誰かに忘れ得ぬ印象をもったり,好きになってしまったりするのは,決してその人の容姿や能力を見ることによってではない。むしろ,その人がいつも見せているのとはまったく違う何かに,私だけが気づいてしまったと感じるときに,そうなるである。いつも朗らかな彼女が唇を噛んで涙をこらえているのを見てしまったときのように。不意を討たれ,声をかけることもできなかったときのように。
旅先の印象の表層は,出会った不思議な人々や珍しい料理や崇高な風景によって形作られるけれども,それは「いつも朗らかな彼女」の姿でしかない。鈴木は旅先のそういう姿にはほとんど触れず,観光名所とはいえない地味な建築の,なんでもないようなディテールに,「彼女の涙」を見つけてしまう。そして何もできぬまま,ただオロオロとするばかりである。
建築をめぐる旅は,なんとも迂遠でじれったい。そこがいいのだ。