ZOLLVEREIN, ESSEN
ドイツ,エッセンのツォルフェライン炭鉱跡。
阿部仁史+本江正茂で「MEGAHOUSE」を出展中の「OPENHOUSE」展へ向かう。
↑これも敷地内にあります。
このSANAAの建物はデザイン学校なのだが,1階と2階はギャラリーのようになっていて,誰でも入れる。近くの街の大規模な建築コンペの結果が展示されていた。
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ドイツ,エッセンのツォルフェライン炭鉱跡。
阿部仁史+本江正茂で「MEGAHOUSE」を出展中の「OPENHOUSE」展へ向かう。
↑これも敷地内にあります。
このSANAAの建物はデザイン学校なのだが,1階と2階はギャラリーのようになっていて,誰でも入れる。近くの街の大規模な建築コンペの結果が展示されていた。
を読む。入手したのはかなり前だが,あまりのボリュームゆえ,なかなか手につかなかった。
建築家ハワード・ロークを主人公とする大長編小説。モダニストであるハワード・ロークは,自らの信じるところに従って,欺瞞的な装飾を一切排した超合理的な設計を行う。しかしそれはなかなか理解されず,ロークは干される。干されるが,くじけない。数少ない,しかし強力な理解者を得て,ロークは自らを決して失うことなく成功する。そういう物語である。
自己犠牲を強いる集団主義に対して,自らの意志をこそ徹底して尊重する個人主義こそむしろ道徳にかなうのだというロークの,すなわち筆者の主張は,この小説が執筆された冷戦下の世相をはっきりと反映している。アメリカはソビエトより正しいのであり,アメリカ人は近代的個人として生きるべきである。世間の是認を求めずにはおられぬあまり結果として奴隷的な行動を余儀なくされる人々と,自らの内なる意志のみに基づいて行動する強靭な魂をもった近代的個人とが,くりかえし,図式的に対比されて提示される。
ハワードとピーター。建築家は,偉大な個人であり創造者であると考えられつつ,同時にきわめて世俗的な権力の犬でもあるとされてきた。この構図は映画『華麗なる激情』においても,ミケランジェロとブラマンテとの対比的な構図に示されてきたものにほかならない。
翻訳はいかにも直訳調で読みにくいが,次第に慣れ,やがては快くさえ感じられるようになる。いかにも1940年代らしい絢爛たる長広舌に堪えられるなら手に取ってみてもいいだろう。
私個人は必ずしもロークやワイナンド,ドミニクの生き方には共感できないと感じる。かといって,自分がピーターやトゥーイーかといえばそうともいえない。あえていうならスカーレットかマイクだなと,いささか自嘲気味に思う。そして,その自嘲が尊大な自意識の裏返しであることも十分に自覚しているのである。
クリスマスムードいっぱいのバルセロナ。
繁華街のど真ん中,カタルーニャ広場に大きなエアドームができている。
中ではバルセロナの都市計画を展示する展覧会が行われていた。
中央の櫓から様々な映像が流される。
床面にはバルセロナの航空写真。計画地に説明パネル。周囲には建築の模型も。
お客さんは床を指差しまくるのであった。
小さい方のドームは講演会場になっていた。
こういう時期に,こういう場所で,大々的に都市計画の展示と説明を行うというのはなかなかに素晴らしい。エッセンのSANAAの建物にあったのもそうなのだが,こういう都市計画に対する理解を求めるための展示が,ちゃんと予算をかけて気合いの入ったデザインで行われているのがうらやましい。役所の会議室に適当に貼り出して,市民の縦覧を求めましたよ一応…というのとは,天と地ほども姿勢が違うではないか。
オープンソース版“Google Earthクローン”計画がGoogleの要請で中止に:
GoogleがDigital Globe社からライセンスしている衛星画像の値段が約5億ドルと非常に高価であることも明らかになった。
600億円ぐらいだよねえ。すごいねえ。元とんなきゃねえ。
【追記】
……と,書いていたところ元記事に訂正が。
>もとながさん,お知らせありがとうございます。
オープンソース版“Google Earthクローン”計画がGoogleの要請で中止に:
【お詫びと訂正 2006/12/04 11:55】
記事初出時、「GoogleがDigital Globe社からライセンスしている衛星画像の値段が約5億ドルと非常に高価であることも明らかになった」と記述しておりましたが、正しくは「Digital Globe社の衛星は約5億ドルと非常に高価であるため、Googleがライセンスしている衛星画像データも非常に高価だということもわかった」です。お詫びして訂正いたします。
ううむ。やっぱり画像がいくらなのか知りたい。
バルセロナの建築家,エンリック・ミラーレスの事務所を見学することができた。
彼は2000年7月4日にガンのためになくなっている。享年45歳。
バルセロナ旧市街,海に近い地区にその事務所はある。
ミラーレスはもういないが,模型や図面や家具や配線のいたるところに,ミラーレスの気配が色濃く残っているように感じた。
有機的な曲線の建築はすべて模型をベースに設計されており,3D CADはまったくつかっていなかったという。
事務所の中心には大きな模型工房があって,ほとんどすべて木で作る。模型においても実作においても我々は素材のノーブルさを重視するのだ,とスタッフの人が言ってたのが印象的だった。
ミラーレスの手がけたサンタ・カテリーナ市場の写真などはflickrで
コクヨ ニュースリリース || 「コクヨデザインアワード2006」の受賞作品が決定
今年もよいものが揃っておりますね。
"Pencils for Gambling"なら子供のときに作ってた気がします。
黒板の比率のノート"Board"は,安藤さんが言われるように,板書の空間全体を授業の記憶のトリガーにしようというアイデア。ブレストのホワイトボードを清書してしまうと訳分からないものになりますもんね。
とはいえ,黒板のイメージを写し取るようにノートをとることはあんまりないんじゃないかなあとも思った。小学生のとき,ノートはたっぷり余白をとって書きなさいって先生に言われた。スカスカにしといて,授業中も後からも,その余白にアレコレ書き込むわけで。とすれば,余白を大きくとって,ノートの真ん中に黒板の比率の枠が描かれているというのがいいのではないかなぁ。それじゃ普通のノートか。
スペインの若手注目株。彼らの地元バルセロナに近いOlotの街にある作品をまとめてみせてもらう。
大工の家,鍛冶屋とヘアドレッサーの家,レストラン"Les Cols",Pedra Tosca Park,河辺のパビリオン,Tussols-Basil 陸上競技場とサッカーコートなどなど。
いずれもランドスケープと深く結びついている。特に,トラックの内側に元の植生をマウンドを残した陸上競技場は非常におもしろいと思った。管理用の建築が完成しておらず,プレハブが並んでるのは残念。
また,鉄の使い方が非常に印象的。鉄ってのは硬くて柔らかい,非常におもしろい材料だとあらためて思った。
カウントダウンTVのランキングにそって,YouTubeにあるPVをならべ,すぐにAmazonで買えるようにしたマッシュアップ。
仙台寒い
日本語のPodcastを音声認識で文字に変換し検索可能にするサービス。すばらしい。
産総研の仕事。江渡さんもチームメンバーのひとり。
音声認識だから当然間違いがあるんだけど,それは「みんなで訂正する」ことで乗り切ろうとしてる。Wiki的。その編集インタフェイスは秀逸だ。だけど,結局はオリジナルの発信者がチェックしないと品質の維持は難しいとは思う。
いずれはGoogleなんかに飲み込まれることになるのでありましょうか。
元永さんが危惧しているように,Podcast独特の,言いっ放しのお気楽感は消えていくのかもしれない。
もっとも,文字で書かれた言葉と,声によって読み上げられた言葉とを比較して,前者がよりオフィシャルで後者はカジュアルとかぎったものでもない。音声化することでこそ強い意味を帯びる言葉ってのもある。
英語圏などでは,タイプしてきたテキストを壇上で読み上げるという形式の講演会がある。初めて聞いた時は,なんかつまんねえなと思ったりもしたが,あれはああいうものなんだそうだ。
さらにいえば,宣誓や祝詞は声が「正」で文字は「控」にすぎない。人間どうしだと「言った言わない」がもめ事になるから契約は文字に書かれ定着されねばならないのだが,相手が神様やらお天道さまだと,「言ってない」という言い訳はできない。
Podcastでネットに放流された言葉は,いつまでも消えずに残り,いまや検索されて繰り返し白日にさらされる。「言ってない」という言い訳はできない。くれぐれも,かしこみかしこみ,申されねばなるまいよ。
『メリーポピンズ』を再編集したホラーな予告編。
編集が映画なのだ。
追記:
「映画のイメージとかけはなれたニセモノ予告編 - GIGAZINE」で,心温まる『シャイニング』や殺人鬼系『タイタニック』,コメディ『十戒』などが紹介されている。
YoutTubeを"recut"で検索すると,邪悪な『ET』なんてのもある。巧拙はあるが。
こうやって続けていくつか見ると,編集の妙技というよりも,編集のもつ様式性のほうが前景化してくる。様式的であることやジャンルにおさまることを厭うという様式もまたこれあり。
住所や地名から緯度経度情報を得ることをアドレスマッチングとかジオコーディングというが,これには当然,別途データベースが必要だ。Googleがこれの日本版を公開した。またしてもGoogle。
Google Maps API Official Blog: Japanese Address and Placename Support Added to the Geocoding API:
基本的な情報(生データ)は国土地理院ですでに公開している。
街区レベル位置参照情報ダウンロードサービス
を読む。
城 繁幸『若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来』光文社新書,No.270,2006
大きな成長が見込めない社会においては,年功序列型の企業システムは持続できない。誰もが「昭和的価値観」に浸っているので,その問題すら認識できていない。
にもかかわらず,中高年層がその既得権を維持しようとすれば,そのツケは若年層に集中するよりほかない。そのツケは未だ生まれてもいない子供たちにも及ぶ。それが少子化の理由であるという。
経済アナリストのなかには,日本に新しい中高年市場が誕生し,新たな市場牽引役となることを期待する向きも強い。実際,すでに郊外の住宅やリゾート物件,中型以上のバイクなど,シニア世代向けのぜいたく品需要は伸びつつある。 だがその裏には,正社員の半分以下の賃金で,派遣や請負,フリーターとして使い捨てられる若者の存在があることを忘れてはならない。 彼らが“人並みの”収入を得て,結婚し子供を作る代わりに,社会はリゾートマンションや大型バイクの売上を選んだわけだ。(p.115)
政治家も企業も労働組合も,それに力を与えるもののために奉仕する。そのように出来ている。
筆者は,若者よ選挙に行けという。
これにはまったく同意である。
バーバラ・スミット『アディダスVSプーマ もうひとつの代理戦争』
月泉 博『ユニクロvsしまむら―専門店2大巨頭圧勝の方程式』
ついでに,こんなのも仕入れている(via 私的自治の時代)が未読。
堀 公俊, 加藤 彰『ファシリテーション・グラフィック―議論を「見える化」する技法』
ニール スティーヴンスン『クリプトノミコン〈1〉チューリング』
つうか,早く原稿書かなきゃ。
下記のみなさんには,12月19日(火)5限のインタラクションデザインの時間に,先のユーザビリティデザイン調査のレポート内容について発表していただきたいと思います。
持ち時間は5分程度。レポートのPDFをプロジェクタで投影できるようにしておきます。
それ以外に追加してプレゼン素材を用意できる場合は,ぜひもってきてください。実物でもPowerPointでもかまいません。
20522092 ホンダミカ
20522071 高橋明仁
20522099 山木絵里子
20522036 小関裕美子
20522033 栗田若菜
20522023 岡杉香
20521026 菊地健太郎
20522026 小野寺美幸
20522025 小川拓也
20422039 齋藤香織
次回は2007年1月16日です。
昨年いただいたものだが,初めて使ってみた。同機の第二世代にあたる。
姿は実に美しい。つやつや。目地も見えない。
ただ動作音が非常に大きい。グラグラいってる。寄せ鍋か。
タンクに水を入れるための専用漏斗がついてるんだけど,こういうのって,どこに置いておけばいいのかな。きっと無くすだろうな。
真ん中に見えているのは,アロマオイル用のオプション部品。
と題された八束はじめさんのお話は大変におもしろかった。2006年12月22日のハウスレクチャで聞いたのである。
丹下健三,浅田孝,下河辺淳,磯崎新,メタボリストたち,鈴木俊一……
そして,道化はゴジラ。
磯崎の空中都市を使った丸の内計画と現在の百尺基壇+超高層の丸ビル。あるいは旧都庁舎と新都庁舎。それらの違いを細かく言い立てるよりも,両者の連続性を論じうる長い射程のパースペクティブをもつことの方がおもしろいという指摘には共感した。
話の中で,丹下研究室の研究活動が詳しく紹介されたのを興味深く聞いた。丹下研は人脈とデザイン作品では知られているものの,研究活動はあまり知られていないのではないか。丹下らの研究は,成長する日本社会の方向性を見定めようとし,人口流動の検討から大都市への人口集中は必然であるとして,メトロポリスの問題が集中することになるはずのオフィスと住宅と交通に焦点を当てるものであった。それが結実したのが「東京計画1960」なのだ。
丹下研の研究に関する部分は,建築家の豊川サイカクさんが掘り起こしてまとめた(審査直前の)博士論文に多くを負うのだそうだ。豊川さんも会場に来ておられ,質疑応答に参加された。
今日の我々に,丹下が描いた成長にむかう都市ビジョンに匹敵するような,縮減する都市のビジョンは描けるのか。
八束さんは,東京計画2010というようなものがあるとすれば,それはなんらかのリサーチでしかありえないのではないかと言っていた。そうかもしれない。同じ方法論ではありえないだろう。
思えば,中西泰人さんが夏ごろから,しきりに丹下健三スゲー!と言っていて,東京計画1960を熟読中だと盛り上がっていたのだった。正直言って,私はピンと来てなかったのだが(笑),今日の八束さんの話でいろいろ脈絡がついたような気がした。「東京計画1960」と豊川論文をあわせて読んでみることにしよう。
その後の2006年建築都市事件をめぐるトークは例年のようにゆるく進行。ちょっと長引いた。
菅野美術館は阿部さんが照れてスルーしたが,建築そのものの問題もさることながら,地方都市の文化施設のありようの問題としてちゃんと話をすればよかったと,司会としては少々反省しているところ。
が今年のM1グランプリを制した。
抜群におもしろかった。満票の結果も納得。(Wikipediaの記載がこの結果を受けてすでに更新されている!)
「華麗なる妄想族」をキャッチフレーズとする彼らの芸は,新しい冷蔵庫を買ったとか,自転車のベルを盗まれたとか,友達どうしの話題にはするものの,軽く流して終わりそうなごく日常的な他愛ない出来事に対し,その細部に異常に関心を示しながら,妄想をエスカレートさせていく「キモい妄想男」を笑うというものだ。(もちろんYouTubeで見られる)
もちろん漫才だから,妄想男は異常な存在として笑われている。
しかし,私は彼らのネタを聞く間ずっと,「キモい妄想男」に共感していた。
同時に,近ごろの私はこういう「食い付き」方をしていないのではないかと反省しはじめていた。
日常的な出来事の細部に違和感を見いだし,事の委細を確かめつつ,想像力を駆使して,その意味を掘り起こしていくという,この妄想男の能力は,デザイナーに不可欠な想像力であり,創造力そのものなのではなかったか。
たまたま今日読んだ『問題がモンダイなのだ』(山本貴光+吉川浩満,ちくまプリマー文庫,2006)に次のような印象的な一節があった。
十九世紀の心理学者ウィリアム・ジェイムズは,「自由」の対義語は「不自由」ではなくて「自動化」だと考えた。
自動化とはなにか。それは動作や言動がひとりでにオートマティックに決まってしまうことだ。
(中略)
自動化された言動には自由が顔を出す余地は少ない。逆に言えば,自由とは選択の余地をもっていること,自動化にさからうことだと考えてよいだろう。
(中略)
問題に迫られたとき,その問題が課してくる前提やルールにしたがって解答を与えることは,いわば社会的に自動化された解決の仕方であるとも言える。もちろん世の中には,そうしたやりかたで解決できる問題もたくさんある。けれども,しばしば人はにっちもさっちも行かない状況,他に選択肢がないように思えるような,出口なしの状況に陥ってしまう。
そんなときに必要なのは,そうした自動化から身を引きはがして,問題そのものをつくりかえること,あるいは新たに問題をつくりだすことだ。それは,自分の未来を自らの力で切り拓くこと,つまり自由に生きることなのである。(pp.122-123)
チュートリアルの舞台では,「自動化」に長けた人々が,「自由」な妄想男を笑っている。しかし,それは自動化されたおしゃべりしかできなくなった不自由な自分を笑う,自虐の笑いにほかならない。
私は妄想男でありたい。
そう改めて思うクリスマスイヴである。
ケータイでカギを開けてどんどん見学!これは便利だ「セルフ住居見学システム」 / デジタルARENA
不動産屋に立ち寄ることなく,自分だけで見学できるようにするシステム。
矢口社長:見学したい家を決めたら、ネットで申し込みをしていただきます。これはケータイからでもパソコンからでも可能です。すると、ケータイから申し込んだ場合はケータイに予約ID番号を明記したメールが届きます。これをもって、現地へ直接行っていただきます。——現地に到着したら、どうすればいいのでしょうか?
矢口社長:現地の各ドアにQRコードがありますので、それをケータイで読み取っていただいて、サイトを開きます。すると事前にお渡しした予約ID番号を入力するフォームが表示されますので、そこに番号を打ち込んでいただくと、自動的にカギが開くようになっているのです。
MEGAHOUSEにつながっていく動き。
ユーザにはメリットがあるだろうが,これだけでは提供側のメリットが十分でないように思う。