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が東北道の泉PAのところに開通したので,泉区内の自宅からそこを通って大学へ来てみた。
泉スマートICから仙台宮城ICまで一区間だけ東北道。降りてから山道を登って,宮城教育大学の前をすぎて東北大の工学部まで,という経路で,一般道だと45分ほどの道のりのところ24分で着いた。料金は通勤割引時間帯なら200円。
ETCを付けた甲斐があったというものだ。
『ぼくの伯父さん』について語るジャック・タチやガストン・バシュラールについて語る(こんなに身振り手振りに表情豊かだとは意外な)ミシェル・フーコー,現役時代のエディ・メルクスやらベルナール・イノーやらのインタビューなど,まるっと公開。フランスおそるべし。もうちょっとちゃんとフランス語の勉強しておくんだった。
EXPLORER/themes/sport カテゴリーに CYCLISME がドバッとあるぜ。おお!
建築家ネタもありますね。
オタクのファッションそのものにはなんの関心もないが,「国道沿いの衣料品店」というカテゴリーの成立過程と,その地方都市における位置づけは興味深い。
最近、秋葉原で遭遇する東京のオタク達の服装が「脱オタクファッション化」しているのが観察される。一方、コミケ三日目の行列をみると地方の国道沿いで購入された服装を多々みかけるわけだが、その要因がわかったような気がした。地方オタクの母親が国道沿いの衣料品店で服を購入し続け、彼自身が母親の購入品を黙って身につける限り、国道沿い衣料品店の服は地方オタクから一掃されはしない。
地方都市と都市圏の断絶よりも地方町村(仮)と地方都市の断絶の方が深い。国道沿いでことがすんでしまう場合、地方の都市部にまで到達しないまま生活をする。ド田舎にいる場合、地方都市に行くことも大都市圏にいくことも気分、コストともにそんなに変わらない気がする。
地方都市と「地方町村」の断絶。断絶というよりは,茫漠とした広がりか。
すでに激烈な高齢化を遂げ,数年前から人口減少がすでにはじまっている地域。三浦展のいう「ファスト風土」が展開するのはこの領域だろう。仙台から東京を見ているだけだと,この領域はよく見えない。
本城 直季,『small planet』,リトルモア,2006
以前もふれた本城直季の最初の写真集。模型のようにしか見えない実物の世界。やっと入手。
わかりやすい驚きがあるので,まず撮影技法や知覚のメカニズムへの関心が先立ってしまうかもしれないけれど,そういうテクニカルな言葉では回収しきれない哀切がある。郷愁と疎外とのダブルバインド。
この写真集を見ていると,あたりまえの世界が,ほんとうに健気で愛おしいものに感じられる。
ぼくらは皆ピンのような細い足で,その世界に立っている。
同時に,決して手の触れ得ぬ高みから望遠レンズで見ている。
東京の雪景色で終わるからなのか,ティム・バートンの映画と通じる視点があるようにも思われた。世界を夢のようなものにしてしまうという点で,この写真は雪に似ている。
五月病に心責められる人におすすめ。
追記:
小学生の息子は,どれも「すごく精密につくられた大きな模型」だと思ったようだ。本物を模型みたいに撮った写真だと教えると本気で驚いていた。そのことに逆に驚いた。
どうして私は素直に「すごい模型だな」と思わなかったんだろう。
これほど広範囲で精密な模型をつくるのは(主に経済的に)まず無理なこと。
写真は実物とは違う認識をもたらすメディアであること。
実物を模型のように撮った写真だと文章で読んで知っていたこと。
……そういう知識の外挿による部分はたしかにある。
しかし,はじめて本城のこのスタイルの写真を見たときには,驚きつつも確かに模型ではないことはわかったのだった。
実物なのに模型に見える不思議。
模型に見えるのに模型でないとわかる不思議。
小鳥ピヨピヨ(a cheeping little bird): 「脳の右側で描け」のワークショップで自画像を描いたよ
すげーおもしろそう。やってみたい。
フィードバックが大事ってのには同意。
この本のこと,前にもブログで書いた気がするけど見つからないや。左手で書いたからかな。
授業で最後に見せた錯視の事例は下記で詳しく見られます。
北岡明佳の錯視のページ
ゲーリーってポピュラーな建築家なんだなとあらためて実感。
via 岡田栄造のデザイン日誌 : Feeding Desire
追記:どうもYouTubeが不安定なようで,上にビデオが表示されないことがけっこうあるな。
東北歴史博物館に出かけ,アナンディン・バヤラトさんによる馬頭琴の演奏会を聞く。博物館の庭の調整池に浮かべられた水上舞台。PAがあまりよくなくて,音響には不満が残るものの,200名ほど?の来場者とともに,しみじみと聞く。重ねた茶碗を頭に載せて,それを落とさないように踊るというおめでたいときの踊りもあった。
馬頭琴というのは,絵本の『スーホの白い馬』で最後につくられる楽器。今でも馬の頭の飾りはついているが,馬の骨や皮でつくったりはもうしておらず。普通の弦楽器のように木製だそうだ。腿に載せて小さなチェロのように弓で弾く。二弦で,左手の指で,上から押さえるのではなく横から押し出すようにして弾くのが特徴だそうだが,舞台が遠く,手元はよく確かめることができなかった。
この演奏会は,「特別展示概要 シルクロードの国宝 中国★美の十字路展」の関連企画。ヨーロッパで言えばマニエリスムのそれのように見える非常にダイナミックな造形の駱駝の彫刻などあって,楽しめた。
Worldmapper: The world as you've never seen it before
様々な経済活動などに応じて,国土のサイズを変えた世界地図。
日本が一番大きいのはクルマの輸出か,あるいは魚の輸入か。日本は極端に振れてる。バランスが悪いと見るか,住み分けてニッチを獲得したと見るべきか。
西暦1年から2300年までの人口図もおもしろい。
をなめらかにしたい件。
やりたいのは4画面にまたがる大きなムービーの再生である。2画面出せるボードを2枚積んで,2画面×2セットで4画面出力可能がPowerMacG5がある。
前述のように1枚のボードから2画面出ているのだが,この2画面にムービーのウィンドウがおさまっている間は,スムースに再生できるし,アクティビティモニタでみるCPUの負荷も大したことはない。
しかし,2枚のグラフィックボードにまたがるウィンドウでムービーを再生しようとするとダメ。カチカチに堅くなる。CPUもビンビンだ。
特定のムービー・ファイルだからダメということではなくて,たとえばiTunesのビジュアルエフェクトなんかも,ボードをまたがる位置にウィンドウを置くと途端にカチカチとなる。
あらかじめソフトウェア的に2画面分ずつ(ボード一枚分ずつ)に分割したムービーを用意したうえで,同期させて再生するのがよいのだろうか。
Win用には4画面を一気に出力できるボードもあるようなので,ハードを替えるという手もあるか。
このPX6600を使っている,または動作しているを見たことのある方,おられませんか?
悩ましい。
追記:2006.6.2
なんと,QuickTimePlayerではできなかったが,Directorに貼付けたムービーは,4画面にまたがる1ウィンドウでもスムースに再生できた。QTPだと特定のCPUに負荷が集中してしまうのだが,Directorだと4つのCPUでまんべんなく負荷を処理しているようだ。一番シンプルだと思っていたQTPが実は複雑で,なまじ処理をGPUに分担させようとして難しくなっているのかもしれない。その点,"野蛮"なdirectorの処理が,4CPUの力技で乗り切る我々のスタイルにマッチしているということだろうか。
とまれ,これで4画面同期の問題は解決。
お知恵をお寄せくださったみなさま,ありがとうございました。
というタイトルで後期に授業をやることになった。
「創造工学研修」という工学部に入った一年生むけの少人数授業。工学部全体で150くらいのテーマが準備されるので,履修者が好きなのを選ぶ。
で,私のユニット用に考えたのが上記のテーマ。
概要: 複雑で多様な実世界を特定の視点から切り出して記号によって記述したものが地図である。我々は世界についての知識を共有するために地図を描いてきた。メモの略図も,太古の壁画も,スパイ衛星からの信号を解析して得られた映像も,カーナビの画面も,いずれも世界を表象し,その情報を共有しようとする「地図」にほかならない。地図を読み,地図を手に実際にその地を歩き,新しく地図を描きなおすことは,人間と環境の関係性をデザインしようとする建築技術の基本をなしている。この研修では,様々な地図を読み,歩き,描くことを通じて,履修者の環境情報リテラシーを高めることを目標とする。……こういう文章ならスルスル書けるのであるが,具体的な中身はまだない。
迷わない略図をちゃんと描く情報デザイン超初級編とか,異様に長い直線を探して行ってみるとか,いつか来る道ヘビタマ道路探訪とか,コンター塗り分けスリバチ探しとか,戦前と同じ線形を探せvs戦争が終わってこの道は生まれたとか,この馬鹿な坂はなんだ机上プラン批判とか,ローテクで「グラウンディング」をやるような話にしたい。あと,メタ地図論ってのもあるだろう。地図の写生ってのもいいな。
いまだ参加のかなわぬ帝都の「地図ナイト」と遠くシンクロする授業でありたいと夢想する。予算があるならゲストを呼びたいが……。
開講は10月。外回りはあまり寒くならないうちに済ますようにしなくちゃ。
Case File : 竹中工務店 | オフィスを“知的創造の場”にする! - CIO Online
実際のところは未見なのだが,ワークプレイスについて提案されてきたことをきちんとやってみるというお手本的な例かと。
逆にいうと,紹介記事の書かれ方は今日に典型的な「オフィス論」の構えになっている。類型的といってもいいか。うまく言えないけど。今私たちが準備しようとしているオフィスの本は,全然違う構図でオフィスをとらえようとしているのだが。
JIA建築セミナー
建築家スタジオ2006
建築の未来は、ナマヤサシクない!!
という連続セミナーのひとつとして,小野田泰明さんと一緒に「『誰かのためのイス』プロジェクト」と題したスタジオを担当することになりました。延べ4日の集中的なワークショップです。
上流/下層の二分化が進行する社会。これが事実とすれば、我々は社会をどのように構築していくべきでしょうか。本スタジオでは、哲学者ハンナ・アーレントが「誰かのためのイス」と表現したように、他者に対する豊かな想像力こそ社会の紐帯であるとの仮説に立ちます。実際の地域に「誰かのためのイス」と呼びうる空間を設計することで、あるべき社会像に向けてのデザインの可能性を探るものです。優れたデザインには、優れたプログラミングが不可欠であり、その習得のため以下のプロセスを採用します。
1)実在のエリアを設定し、コミュニティのリアルな状況をくみ上げる方法を身につけます。
2)お年寄りが地域で生活を継続出来るよう創設された公的制度の活用法を理解します。
3)それらを総合し、空間を埋め込む方法をデザインします。理解を助けるため、気鋭の高齢者研究・設計者のレクチャー、都市再生実践者によるタウンオリエンテーリングなどを織り交ぜます。
ゲスト講師に大阪市立大学の三浦研さんと都市プランナーの川原晋さんを迎えて,盛夏の東京にふさわしい濃密な討議の空間がつくりだされることでしょう。
他のスタジオも充実したラインナップです。
少々費用はかかりますけれども,みなさまこぞってご参加くださいますように。
詳細はJIA建築セミナーのページをご覧ください。
ずっと使っているSt. Clair Softwareの Default Folder X を version 3に アップグレード。約1900円。追加機能にはあまり惹かれるものはないが,Universal Binary で使うにはアップグレードするよりない。
Mac OS Xのオープン/セーブダイアログを拡張するもので,これなしの作業は考えられないくらいだ。
充電の儀。
移行アシスタントが途中でフリーズ……orz
川上のPBG4が止まってしまうのだ。
USB扇風機で冷やしつつ二度目にトライするがやはり途中でPBG4が止まる。どうするかなあ。
ケーブルをかえてみるが、やはり30分ぐらいで移行元のマシンがフリーズして、画面のFireWireアイコンが動かなくなり、データ転送されなくなる。DiskWarriorでチェックしたりいろいろしてみたのだが。
キーボードはけっこうチャカチャカ音がする。剛性は非常に高い、というか、ボディーと一体。
裏面はかなり熱くなる。PBG4-12初期型にも負けない熱気。コメットもPBG4-12もアップルの初期型はいつも熱いのだ。
追記:
結局ターゲットディスクモードでの移行アシスタント利用は断念。CarbonCopyCloner 2.3(日本語環境ではダメなので英語環境でログインしなおして使う)で,外付けディスクにクローンをつくり,それをMacBookで認識させて移行アシスタントを使った。これで小一時間で移行は終了。第三者に立ち会ってもらうとうまくいくことがあるというわけだ。結果オーライ。
MacBookでのアプリの動作確認など。
※ Intel Macには現在のところ対応しておりません。2006年6月中旬にベータ版を公開予定です。申し訳ございませんが、今しばらくお待ちください。
青木淳×糸井重里 対談
を読む。
三浦 展『脱ファスト風土宣言―商店街を救え!』新書y, No.152, 2006
同じ著者の『ファスト風土化する日本―郊外化とその病理』の続編。三浦は編者となって,前著で指摘した「ファスト風土化」という問題点への具体的な処方を実践している人々の論考が集められている。ただし,タイトルだけを読んで,荒んだ商店街を直接救済する特効薬を記したマニュアルを期待して読んではいけない。そのようなものがあると考えてしまう態度そのものがファスト風土化をもたらしている元凶だからだ。
各論考はいずれも生き生きとしており,現代的な都市デザインの諸課題が歴史もふまえてコンパクトに示されているから,都市デザインの入門書として読まれても良いだろう。
いずれの筆者も異口同音に「関係性のデザイン」が重要であるとしているのが興味深い。私もこの1月に建築学会の設計方法小委員会で「関係性のデザイン」と題されたシンポジウムをやったところなのだが,本書は都市・建築分野における「関係性のデザイン」の適切な事例集になっていると思われた。