立花隆の出てたNHKスペシャル「サイボーグ技術が人類を変える」,再放送で見ることができた。
東大立花研のホームページ SCI(サイ)に,この番組の補遺情報集となる解説付きリンク集がつくられている。充実した内容。
日経BPのWebサイトの立花隆の連載にも関連記事「『脳とは何か』を解き明かすサイボーグ研究最前線」などがある。
どれもみな,今ここにあるサイボーグ技術である。遠い子孫たちの話ではなく,私たち自身がもうすぐに,サイボーグ技術とわたりあいながら生きていくことになりそうだ。その時間の近さ,もうあるってことが,とても印象的だった。人工知能やヒューマノイドが牧歌的なまでの未来技術に見えるのに対し,サイボーグの生々しさはどうよ。
サイボーグの基本技術である,脳と機械を直結するBMI技術は,倫理的問題をよびおこさずにはおかない。立花は,脳のうちに人格脳と身体脳という区分を設けて,前者は不可侵だが後者は技術の対象としてよいという。
脳には「人格脳」の部分と「身体脳」の部分と、明確にちがう二つの部分がある。人格脳にメスを入れることは通常許されるべきではないが、身体脳に対しては、医工学技術の対象にしてさしつかえない。
要するに「精神」と「肉体」の境界を脳の内部に設定するということだ。
私はこの区分には少々違和感がある。この番組を見たところでは,薬と外科的処置の中間的なスケールで,サイボーグ医療が行われているように見えた。ケミカルとフィジカルの境界があいまいになっているような感じ。サイボーグのもつ倫理的問題は薬物使用のそれと同じ構図(それがどんなふうに議論されているのかは知らないのだけれど)で考えることができるのではないか。基本的には,生体の化学反応の場として区分できないのに,つまり薬が同じように効いてしまうのに,脳の中にその機能を基準とした「境界」を設定することには無理があるように思う。
サイボーグのことを考えるといつも,マイナスをゼロにすること以上の機能強化を狙い研究はないのかなあと思っていたのだが,番組で紹介されていた筑波大学のロボットスーツは,筋肉が弱っている人でも歩けるようになる,などとカマトトぶっていたけれども,あれはあきらかに「怪力」を実現しようとしている。
■Q. 速く走れますか?
■A.現在は日常動作のアシストを目的としたパワー重視型のHALですが,走るなどのスピード重視型の開発も今後行なっていきます.
やっぱりやってる人はやってるのだ。
高く跳べますか?
また,番組を通じて,脳の適応能力が驚くほど高いことが非常に印象的だった。これほどの脳があるのであれば,「怪力」だけでなく,知覚系を拡張して,たとえば放射能が見える第三の目のようなものも,ありえないことはなさそうだ。
そこで起きてくるもうひとつの素朴な疑問は,なぜ脳にはこんなに余力があるんだろうか,ってことだ。「神さま」は我々に何をさせるために,これほどの脳を用意しておいたのだろうか。