を読む。森美術館での大規模な展覧会を前に,BRUTUSでも特集されている,水平線や映画館のスクリーンなどの長時間露光の写真で知られる美術家杉本博司の随筆集。雑誌『和楽』での連載を主とする。代表的な写真も多く収録。
杉本 博司,『苔のむすまで』新潮社,2005
ニューヨークの骨董商として,「古美術の販売および現代美術の製造販売」をおこなってもいたという杉本は,平安美術を中心とする古美術にも造詣が深く,日本趣味の雑誌連載ということもあって,仏像や書などの日本美術史……にとどまらず日本史に関わるエッセーが多い。天皇が出てくると敬語なのが妙に新鮮であった。これまで私には,直島の護王神社のような仕事をなぜ「写真家」の杉本博司がやっているのかと疑問だったのだが,まずもって杉本は「美術家」なのだと知る。そう思ってみなおすと,一貫性が見えてくる。長時間露光で撮影される「海景」や「劇場」がそうであるように,本書のタイトルが示しているように,一貫するテーマは持続する時間だ。杉本の写真は,否応なく,そこに封じ込められた時間を意識させる。
比較的新しい写真の連作「建築」は,まったくのピンぼけ写真にみえる。
——私のカメラの焦点の無限大の倍という点に,無理やり機械的に設定したことによってボケたのだ。この世にはないはずの,無限よりも倍も遠い所を覗こうとして,ボケをかまされたとでも言っておこう。(中略)
理想が現実と妥協した結果が,建築物なのだ。どれくらい現実との妥協に抵抗できるかが,一流の建築家であることの証となる。言い換えれば,建築物は建築の墓なのだ。その建築の墓に,無限の倍の焦点を当ててみると,死んでも死にきれなかった建築の魂が写っていることがある。(p.15-16)
被写体−レンズ−フィルムという空間的な関係を,強制的に破綻させることで,焦点を結ぶ対象を,撮影現場の空間とは別の系へとシフトさせている。一章をデュシャンに,しかも大ガラスにあてているのにも理由があるのだ。ただのスタイリッシュな写真というわけではない。
文章はいたって読みやすい。が,話題はドンドン展開して,ふっと終わるので,もたもたしていると置いていかれる感じもある。
同時期に出た『BRUTUS』の杉本博司特集も作品制作の様子や細かいバイオグラフィなどもあって楽しめる。額縁の作り方も興味深い。合わせて読めば展覧会の予習としては十分だろう。
さあ,展覧会に期待。