Blog 表現よみ作品集
渡辺知明さんによる文学作品の朗読。音声ファイルをダウンロードできる。
落語はよくiPodで聞くのだが,こういうのもいい。
渡辺氏は次のようにいう。
日本の「朗読」は質が低い。それは伝統の短さからくるものだろう。芸能の世界ではさまざまな声の表現はある。落語、講談、浪曲、浄瑠璃などいろいろである。しかし、文学作品をよむということが日常的に行われているわけではない。そもそも、文字に書かれたことを重視し、それをただ読みあげるという文化なのだ。よみ手の責任の問われないような朗読の文化に問題がある。そこから脱するには、やはり、もっともっと多くのよみ手で作品がよまれるようになることだ。
「声に出して読む○○」はずいぶん流行したけれども,「朗読」がひとつの芸術のジャンルとして成立しうるということを,私は今まであまり考えたことはなかった。詩や戯曲を朗読するというのはもちろんある話だが,基本的に「書いてから読む」のだと,なんとなく思い込んでいた。でも,ここでいう朗読は,既存のテキストを,朗読者の表現として「読む」のである。いうなればミニマルな演劇を構成しているといえるかもしれない。
コメント (2)
僕は文章を読むとき、小さく声に出して読むクセがあるのですが、
気に入らないと同じところを読み返してしまうことが良くあります。
"今のはちょっと間が違うな"とか"こんなにゆっくりじゃないな"とか考え
始めるとキリがありません。。
筆者が書くときに想定するリズムとそれを読む人のリズムがあるように、
声に出したときの語感なんかもたぶん人それぞれあるでしょうから、
「この流れでこの意味なら自分(読み手)はこっちのことばを使う」
なんていう置き換えをしながら声にするのも楽しそうです。
元があって、それを自分の解釈をしながら形にしていくという過程は
ジャズに似ているなぁ、と思います。
投稿者: あねは | 2005年05月03日 15:42
日時: 2005年05月03日 15:42
はじめまして、ご紹介とコメントありがとうございます。ホームページの「ことば・言葉・コトバ」の「別館」には、いくつかの落語もアップしてますので、お出かけください。表現よみはジャズに近いような即興性があります。本番でどれだけ集中できるかというところに賭ける一回性のよみでもあります。
投稿者: 渡辺知明 | 2005年05月13日 10:01
日時: 2005年05月13日 10:01