現状では、どの食料がイスラム教に沿った処理をされているか確定するのは不可能だ。緊急措置として、被災者は当分の間、生きるために何を食べても構わないことにした
こうした宗教令が発せられるということは,非イスラム圏からの援助物資は疑わしいので食べない,という人がたくさんいるということなのだろう。本気で「死んでも食わない」人たちがいるのだ。
しかし,本当にひもじければ,やはり食べてしまうこともあるのではないか。そして強烈な罪悪感に苛まれるだろう。これは,ひもじさ故の破戒という切実な罪に救いを与えるための措置なのだな。やがて事態が落ち着いた頃「あの時はしかたがなかった」とはいえ,やはり罪に苛まれることもあるだろう。そのフォローも必要になるだろう。イスラム教にもカトリックのような「懺悔」ってあるんだろうか。人に対してするのではないんだろうけど。
このニュースのことを考えていて,大岡昇平の『野火』のことを思い出した。人肉嗜食とハラルを一緒にするなんて,と叱られるかもしれないけれど,どうも「切実にひもじい状態」ってのを十分に想像できないでいるのだ。
『野火』の中に,ジャングルを彷徨して消耗しきった主人公が海にでて,海水をむさぼり飲むシーンがある。私も暑い時期のインドで都市の調査をしていて,連日Tシャツが真っ白になるほど汗をかいて,それでなんだかフラフラになってた。ひさしぶりに中華料理を食べたら猛烈にしょっぱくて,それが感動的においしくて,ああ俺に必要だったのは塩だったのだあ,と得心したことがある。その時にも『野火』のそのシーンのことを思い出していた。私の「飢餓」体験なんてそんな程度だ。
「豚を食べてもかまわない,生きろ!」という声は,ひもじい彼らに,どんな風に響くのだろうか。
「ハラル」については下記に。
日本での「食べてもよいもの」のリスト。固有名詞入りで詳細。
たとえば……
キャンディ:全てのグミ商品と、’ハイチュウ’(森永)などのソフトキャンディー、’ヨーグレット’(明治)などの打上菓子には、ゼラチン(牛骨より抽出したもの)が入っているので注意が必要。次の商品には、ゼラチンが入っていない。