ジョン・L.カスティ,『プリンストン高等研究所物語』寺嶋 英志訳,青土社,2004
1946年,すなわち終戦直後でソ連への恐怖が高まるアメリカ,そのプリンストンにあるIAS(Institute for Advanced Study)を舞台に,そこに集まった数学者や物理学者がなした「コンピュータ時代の夜明けに伴って生じた知的論争のいくつかを部分的に虚構として,部分的に事実として伝える試み(p.7)」である。実在の人物を登場させ,いかにも彼らが言いそうなことを言わせ,そうすることで架空の論争を行うという一種のSF,つまり科学的フィクションとして書かれている。
フォン・ノイマン,ゲーデル,オッペンハイマー,アインシュタインら,本書の登場人物たちが議論する中心的な問題は,科学的知識の限界はどこにあるか?,である。
ゲーデルの不完全性定理,アインシュタインの特殊相対性理論,くわえてハイゼルベルクの不確定性原理。これらはいずれも20世紀の偉大な理論的達成であるが,共通するトーンがある。これら三つの理論はすべて「本質において,それらのおのおのは,論理分析と数学という道具を用いることによって,私たちの周りの世界について私たちが知りうることには限界があるということを主張」している(p.55)。科学的知識には限界があることが証明されてしまったのである。
この限界感,閉塞感を打ち破ろうとするのが,フォン・ノイマンである。ノイマンは,膨大な計算能力,すなわちコンピュータを製作し科学に用いることで,かつて望遠鏡や顕微鏡が科学にもたらしたような新たな知識の地平を切り開こうとする。
しかし,アインシュタインもふくめて多くの科学者は,その意義を理解しようとしない。IASは伝統的に純粋な理論的研究のみにフォーカスし,実験室や実験的研究部門は持たないことになっていた。計算機のような「工学的」なものは他所でやればいい。
フォン・ノイマンは,コンピュータ製作への許可を求める評議会でのプレゼンテーションで次のように語る。
このコンピュータは,非常にたくさんの電気スイッチを収容するための物理的装置です。これらスイッチのおのおのは,ある瞬間に二つの位置のひとつ,オン(入)またはオフ(切)をとることができます。コンピュータがいま何を計算しているかを決定するのは,このスイッチのオン−オフのパターンであり,そのパターンがどのように瞬間から瞬間へと変化するかなのです。パターンと,そのパターンを変えるための規則は,物質でもエネルギーでもありません。それらは純粋な情報なのです。その意味で,コンピュータのオン−オフのパターンは,私が黒板に記号xを書くのと完全に類似しています。このxは現実世界における何かを表すものと思ってください。それはまさしく記号であって,現実のものではありません。ちょうど地図が物理的な領土でないのと同じです。しかし,私たちはそのような記号と規則を用いて一方の記号のセットを他方のセットに変換し,現実世界の関係を表すことができます。
このコンピュータはさまざまな記号のセットを処理することができるだけでなく,人類の歴史におけるどのような装置よりも早くそして確実にパターンをつくったりこわしたりすることができます。そのことがこの機会がIASで製作されるべき理由なのです!それが前衛的な工学の一部だからというのではなく,それが科学の焦点として,情報が物質とエネルギーに取って代わることの始まりだからです。(強調は引用者による。pp147-148)
我々はなんのためにコンピュータをつくったのか。
その原初のビジョンはどのようなものであったのか。
そういうことを考え始めるにはよい一冊。
著者のジョン・カスティは,自身「複雑系」研究で名高いサンタフェ研究所のメンバーであり,ウィーン工科大学の数学教授。多くの科学読み物を書いている。『ケンブリッジ・クインテット 』は以前に読んだが,この本とよく似た趣向で楽しめる。こちらの登場人物は,遺伝学者J・B・S・ホールデイン、物理学者アーウィン・シュレーディンガー、数学者アラン・チューリング、そして哲学者ルードヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン。で,論題は人工知能。激闘!チューリング vs ヴィトゲンシュタイン!!!