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藤森 照信,『人類と建築の歴史』ちくまプリマー新書 No.012,2005
延々と新石器時代の話が続く。これは〈建築〉の誕生の物語だからだ。
藤森は,人類が農耕をはじめたことによって,従来の採集狩猟文化をベースとする地母信仰にくわえて,太陽信仰がはじまったという。
地母信仰が建物の内部というものをもたらしたことはすでに記した。では,太陽信仰は何をもたらしたんだろう。
外観である。大きく高い外観をもたらした。正面の外観のことをファサードというが,ファサードを出現させた。
地母芯が人をやさしく包む母のような内部を,太陽神が人の眼前にそびえる父のような外観をもたらし,ここに内外二つそろって,ついに人類は〈建築〉を手に入れた。(p.63)
木を伐ることのできる磨製石器の登場もまた建築を可能ならしめた。その後,青銅器や鉄器へと技術が整うことによって,建築の構法が確立されていく。
それから,一万年ぐらいの間,世界中で多彩な建築の展開があったのだが,モダニズムで収束してしまったと藤森はいう。
モダニズムの建築は,アールヌーボーを皮切りに30年ほどをかけて世界中で同時多発的におきた,いわば「祭り」であった。それは「科学技術時代の人間の,建築的総意のたまものといってかまわない。(p.158)」
青銅器文明の四大文明にはじまり二千年近くつづいた多彩な建築の歩みは,その歴史と文化を完全に否定されて終わった。
ここにくれぐれも注意してほしいが,バウハウスのデザインをヨーロッパとつないで考えてはならない。(中略)この六歩目の帰着はそれまでの四歩五歩をリードしたヨーロッパ自身にとっても意外なもので,エジプトにはじまりギリシャ,ローマをへてつづいたヨーロッパの建築の歴史を自己否定してしまったのである。バウハウスのデザインの背後にヨーロッパの歴史や文化の陰を見つけることはできない。あるのは幾何学という数学。数学に国籍はない。(p.156)
かくして,人類の建築の歴史は振り出しに戻る。
二十世紀をもって歴史がおわり,二十一世紀初頭現在の,日本をはじめ世界のモダニズムデザインの先端は,そういう漸近線状態にある。より軽く,より透明に,どこまで行きつけるのか。
(中略)
二十一世紀の建築は,より軽くより透明にを目ざす一団が世界の中心にあり,その周りには物としての存在感の回復を夢想する,バラバラでクセの強い少数者が散らばって叫んでいる。そういう光景になるのかもしれない。(p.168)
さて,そうした精緻を極めるマニエリスム指向のレースは,なるほどありえそうな構図だとは思うけど,その怒濤の漸近競争が何をもたらすのか,正直よくわからん。そう感じる時点で,私などは「世界の中心」にはいないってことだろう。しかし,そういう建築の「世界」が,より上位の「世界」とどのような関係にあるのかってことは,別に考えておかねばならないだろうけど。
藤森は「初めての建築の本」としてこれを書いたというが,むしろ大学院の受験勉強なんかで,断片的な建築史の知識だけがバラバラに放り込まれた状態で読むほうが,強引ながらもクリアな見取り図が得られるので効果があるように思う。
もちろん大学院レベルであれば,その「見取り図」を鵜呑みにせず,きちんと疑うことができるかどうかが問われるわけだ。この本のよいところは,なるほどって感じる部分と,そりゃ強引だろと感じる部分とがないまぜになっているところなのだから。