山中俊治さんと阿部仁史さんが登壇し,本江がナビゲータを務めたギャラ間 阿部仁史展 空間術講座「身体」の一回目,「情報技術時代の身体」を無事終了。会場には120名ばかりのお客様に集まっていただく。大半は建築系の学生さんたちのようだ。ありがとうございました。
冒頭で簡単な問題設定をしたあとは,すっかり阿部さんと山中さんの話に乗りかかってしまい,「なるほど」「へえ」などと相づちを打つだけの呑気なナビゲータなのであった。議論の目的地を知っていれば水先案内もできるのだろうが,そんなものは最初から無いのであって,ナビゲータというよりはエクスプローラーかファイアフォックスとでも名乗るべき役回りなのであった。
「情報技術時代の身体」というタイトルは,もちろん「複製技術時代の芸術」と相同する形になっている。ベンヤミンはアウラ=ありがたみ(by 多木浩二)の喪失を言ったが,写真どころではない情報技術の時代に,我々は何を失い,何を得るのか。その時,身体はいかなる様態であらわれるのか,というのがテーマ設定なのだった。身体を真ん中に,テクノロジーと環境とデザインとの関係を考えるというわけである。
議論の内容については,ギャラ間のオフィシャルページに拙レポートを公開予定なので,そちらをいずれお読みください。
簡単に言えば,反動的な物言いとは違う形で,あらためて「身体」の必要性が語られたと思う。
ただしそれがテクノロジーの素性を離れて「家型」や「人型」といった形で自立してしまいがちであり,そうなると,デザインの呪縛となってしまいもすること。それを回避するには,より原理的なアプローチを取り直すことが必要だろうということ。身体性を意識せざるをえないロボティクスの介入が,そうしたデザインの再構築に寄与するのではないかという予感,などなどに話は展開した。建築とプロダクトデザインとの違いはあるなあとは感じたものの,その差異を明らかにすることよりも,共通の足場をどのあたりにセットできるかが大切な問題だとおもわれた。
次回のゲストは精神科医の斎藤環さん。ナビゲータは小野田泰明さんで「リアリティとしての身体」と題されている。山中さんと阿部さんはデザイナーどうしなのでナビは気楽だった。次回は小野田さんの活躍が期待されましょう。