を読む。
大澤真幸『現実の向こう 』春秋社,2005
大澤が書店で行った講演をもとに書かれている。
現代社会の諸問題に対するいくつかの「実践的」で具体的な「提言」をふくむ,という。
たとえば,北朝鮮の民主化について。
北朝鮮の民主化は夢のように思われるが,むしろかのような非民主的な政治体制がいまも残っていることのほうが不自然である。
「だから,北朝鮮には,「お前はすでに死んでいる」ということを教えてやればよいわけです。[p.49]」
北朝鮮でなぜ革命がおきないかといえば,外に逃げられないからである。
1989年の東欧民主化のときに決定的だったのは「汎ヨーロッパ・ピクニック作戦」に見られるように「西側ヨーロッパが,東側から流れてくる大量の難民を受け入れる覚悟をした」ことだった[p.49]。
そこで,「日本と中国と韓国とが,北朝鮮からの難民を誘発し,そして彼らをいくらでも受け入れる覚悟を決めるのです。[p.51]」
これによって,北朝鮮の現体制が内側から崩壊し,民主化する可能性が出てくる。「いざとなったら難民になって外へと逃げられる。亡命できる。そうなると,内側で民主化運動の種が撒かれるのです。[p.51]」
日本としては,中国や韓国のことは決められないので,まず率先して,「日本は,北朝鮮からの難民をいくらでも受け入れる用意がある。何千人だろうが何万人だろうが,受け入れる用意がある[p.51]」と宣言する。中国政府を説得して,中朝国境を越えてきた難民を北朝鮮ではなく日本に送ってもらう。
こんな宣言をしたら本当に日本に何万人も難民が来てしまって困ったことにならないか。
そうはならない,と大澤はいう。なぜなら,「日本が難民受け入れを宣言すれば,絶対に韓国も受け入れることになるから」だ。日本が難民を受け入れているのに,韓国が,「では,日本が頑張ってください」とはいえない。北朝鮮難民だって日本ではなく韓国に行きたい。結果的に難民の多くは日本ではなく韓国に行くことになる。
韓国の負担は大きい。しかし,それでも東欧民主化の時と同様に覚悟を今しなければならない。そして,このとき韓国に生じる負担に対して,日本が経済援助を行う。朝鮮半島分断の原因は日本の植民地化にあるのだから,統一のコストを日本が負担するのは合理である。
この計画のミソは,アメリカの助けなしで実行できることである。「これがうまくいけば,僕たちが日米安保に対して持つ,いわれない依存感から解放される可能性がある。[p.53]」
大澤の議論には,具体的に想定される人数や金額が出てこない。ロジックだけが提示される。
提示されるロジックはどれも興味深い。荒唐無稽ではないかという批判もあるだろうが,そうきたか,というのが次々くる。その面白さを紹介しようとすると全文を書き写すようなことになりそうなので,読んでもらうしかない。上記の「北朝鮮民主化計画」にしたって,その前と後ろに,日本とアメリカの関係,国連安保理のあり方,平和憲法の存在意義などなどが綿密に織り込まれたロジックが提示されているので,とても全貌を示せてはいない。
内容とは別に,論理展開の「息の長さ」ということを思いながら読んだ。あるいは「バッファの容量」とでもいうべきか。いわゆる難しい本というのは,息の長い議論が続く。とりくんでいる問題が複雑で難しいからである。簡単に結論がでるような議論は,最初から問題が簡単だったか,あるいは,簡略化された偽の問題を解いているのではないかと疑ってよい。
息を長く考える,または息の長い議論につきあうということの練習として,本書での大澤の議論のステップは,ちょうどいい長さなのではないかと思った。そういう意味ではおすすめ。薄いし。