新建築2004年11月号の太田浩史の月評から。
建築家が既存の環境を読み解く「解釈者」の位置にとどまり,そこに活動を生み出す「実践者」であることを止めたなら,都市をどのように生きていくかについての未来像は誰が描くのか。(中略)ここでもまた,われわれの創意の社会性が問われている。重責ではあるけれど,そのように都市と関わっていく時が来たのだと私は考えている。
解釈は往々にして倫理的断罪と絶望を結論とする。実践なき解釈が腕と脚を縛る。
解釈はまた,実践へと道筋をつけんがために行われる名ばかりのものともなる。そこでは眼を閉じたまま,解釈なき実践がおこなわれる。
誠実な解釈の上で誠実な実践に着手しよう。