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『路上に自由を——監視カメラ徹底批判』

を読む。

小倉利丸編『路上に自由を—監視カメラ徹底批判 』インパクト出版会,2003

監視カメラを批判する議論を編んでいる。いずれも,監視カメラへのほとんど生理的な不快感から議論がスタートしているために,監視カメラの何が悪いのか全然ピンと来てない人には話がまるで伝わらないのではないかと感じた。あえて悪く言えば,煽り調の文章が多いから,引く人はますます引くんじゃないだろうか。

具体的なエピソードは豊富である。国会の請願窓口をおとずれる人を全部監視カメラで録画しているというのは知らなかった。

国交省情報企画課の担当者は九・一一以降,日本国内の空港で登場者の氏名の確認や荷物検査を厳しくしているが,「それもあまり効率的とはいえない」と言った。
「要するに,例えばですが三菱商事の社長さんとか,朝日新聞の記者さんとか,身元のはっきり分かっている人を厳重にチェックしても仕方ないですよね。そういう人には検査は迷惑だし,先を急いでいるかもしれないから早く通ってもらって,イラクとか北朝鮮の人を厳しく調べた方が有益ですよね。」(p.72)

なんという開けっぴろげの差別発言であろうか。まさしく「セキュリティの効率化とは,現にある偏見と格差をますます広げていく(p.72)」のだ。

問題は想像力である。次にこうやって差別されるのは私かもしれない,と想像することができるだろうか。

われわれの行うべきは,「プライバシー」「自由」といったような,「安全」以外の価値観を対置することによって監視カメラの存在を批判することでは必ずしもない。むしろ監視カメラは必ずしも「安全」を守ってくれはしないし,あなたの考えているような,監視の対象となる「悪いこと」の境界線はあなたが知らないうちに移動させられることがありますよ,あなたも知らないうちに「危険人物」の方に入れられていることがありますよ,という事実を指摘していくことではないか。人々はこういうことを知って初めて,実は自分にも守るべき「プライバシー」があった,行使すべき「自由」があった,ということに気づくであろう。(p.124)

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2004年10月10日 00:59に投稿されたエントリーのページです。

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