スーパーユーザーの減少に見るキャンパス環境の変化 - CNET Japan
ネットワークのホストにログインしてコンピュータを使う時代ではなくなった。なんでも手元のノートパソコンでやる。これがインターネットと直結されている。
SFCの卒業生で慶應義塾大学環境情報学部の専任講師を務める南政樹氏はこのコンピューティング・スタイルの変化とSFCでの学生像について「スーパーユーザーが減少している」と表現した。「スーパーユーザーというのは、コンピュータやネットワークのサービスを提供することができる人のことで、ユーザーながら専門的な知識があり提供されているサービスに対する責任感を持った人たちのこと。UNIXベースのデジタルキャンパス環境において、そのコンピュータやネットワークが共有物であると考えて、構築にもサービス提供にも参加するというユーザー像だ」(南氏)
1994年ごろ,本江も,わけがわからないままに,イエローケーブルを引きまわして,SonyのNEWSというワークステーションのrootをまかされていた。完全な初心者が管理するマシンで,10数名の教官と50名ほどの学生のメールサーバを運用していたのだった。思えば牧歌的な時代であったが,積極的にネットワークを使おうとすれば,否応なくスーパーユーザーでなくてはならなかったのだ。おもわず遠い眼になるが,たった10年前じゃん。
「ネットワーク上でのクリエイティビティやキャンパスネットワークを通じた一体感をも支えていたスーパーユーザーの姿があったが、このスーパーユーザーが減ってきているのがSFCの現状だ」と南氏は言う。
「一方で性能が上がってきたノートパソコンを全員が持ち歩いているというパーソナルコンピューティングが進んだキャンパス内での状況は、コンピュータを管理しているという点においては全員がスーパーユーザーだ、という見方もある。しかし以前のスーパーユーザーのように、他のユーザーと共有のネットワーク環境を構築したりサービスを提供したりする、といった振る舞いはしない。このためネットワークそのもののレイヤーにおける知識やノウハウの共有やそこから生まれる創発は起きにくくなっているのではないか」(南氏)
とても重要な指摘だと思う。
技術があたりまえのものになるにつれて,その管理運営は専門化し,一般利用者からはブラックボックスになっていくのは,ある意味当然のことだ。
だが,上水道の供給システムや自動車のエンジンとは違って,コンピュータのネットワーク技術は,何ができるかまだ誰にもよくわかっていない。ポテンシャルはまだまだ非常に高いにもかかわらず,現状程度の内容で「これぐらいで十分だ」とブラックボックス化してしまうのは,もったいないことだ。
スーパーユーザーは,あくまで実際のユーザーであることが味噌だ。スーパーユーザーはコンピュータが使われる現場にいて,現場の様々な要請をシステムにフィードバックする回路となる。その回路が細ってきているというのは由々しきことだ。
これまでのスーパーユーザー像を育てていく必要がある一方で、それでは今後のキャンパスネットワークのサービスとして何が提供できるのか、知識の共有や創発などの付加価値をどのように作り出せるのか。展望について次回ご紹介したい。
期待してますよー。