を読む。
米盛裕二『パースの記号学』勁草書房,1981
C.S.パースの記号学を解説する。パースは晩年不遇で,遺稿を編んだ『論文集』があるばかりで,彼自身によるまとまった著作はない。米盛はプラグマティズム研究者の立場からと断ってはいるが,パースの記号学の体系を非常に明快に整理している。とはいえ,もともとのパースの議論が非常にくどい(笑)ので,米盛の整理を経てもなおくどくどしてはいるが,論理学というのはそういうものだ。まとめてパースの記号学の体系を解説した日本語で読める研究書は他にはないようなのに,本書は入手が難しくなっている。
パースの記号論は,数学的な手順にしたがって66種類!のクラスに記号を分類するような,ガチガチにフォーマルな論理学的構築物であるけれども,にもかからわず,それは決して静的で不動のものではなく,「しばしば現象を弁証法的生々発展の過程においてとらえる(p.64)」むしろダイナミックなものである。
パースは"3"の人である。シニフィアン/シニフィエの二者の構図で記号を考えるソシュールに対して,パースの記号は,記号,対象,解釈内容の三項関係である。またパースは現象の基本的なカテゴリーをfirstness, sedondness, thirdnessの三者に分類する。常に"3"を軸に議論が展開するところが,パースの議論に弁証法的なダイナミズムを生んでいる。
ホフマイヤーの『生命記号論』も,パースを下敷きにして,ダイナミックな記号過程としての生命を構想するものであった。メディア研究の水島久光『閉じつつ開かれる世界』を読みはじめたところだが,ここでもパースの記号過程が下敷きにされている。
"3"を導入すること。動かせ。
追記:水島久光の『閉じつつ開かれる世界』の序章は,ほとんど「環境情報デザイン宣言」として読んでよいもののように思われる。