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三原昌平編『プロダクトデザインの思想〈Vol.2〉 』ラトルズ, 2004
『プロダクトデザインの思想』の第二弾。
表紙は売れっ子深澤直人の作品だが,セレクションは全体としてはかなり渋いと思う。
名前だけ見てもピンと来なくても,写真をみると「ああこれか」ときっと誰もが思うものが並ぶ。森正洋の「G型醤油差し」や,三原昌平のメラミン製の「ホテル用品」,マリオ・ベリーニの「電気ポット」などがそういうものだろう。
こうした時代を越えた古典のようなものと同時に,食器「Adam & Eve」のロゴや,照明器具「サツールノ」のクロムの質感などは,バリバリ70年代ワンスアンドオンリー。その時代精神と密着していたがゆえに,いまや歴史的風格を帯びているというものだ。アール・ヌーボーやアール・デコと同じように,サイケデリックやポップが美的様式として論じられるようになってひさしい。
文章の調子が執筆者によってかなりバラバラで,なかには読みにくいのもあるけれども,それもまた前作同様に,プロダクトデザインをめぐる思考の現実的な状況をよく映しているのだと思えばうなずけるものだ。
編者でもある三原昌平が「天下分け目の闘い」と題して,戦後の「工業デザイン」が,生産と消費への適合性を重視し作品性を拒否する大手企業インハウスデザイナーを中心とした「インダストリアルデザイン」派と,理想を謳う「プロダクトデザイン」派との対立の歴史をまとめている。この闘いは「インダストリアルデザイン」派の量的勝利で決着したかに思われたが,「ミッドセンチュリーデザイン・ブーム」を契機として「デザインを正面から邪心なく取り組んだ清々しさ」への評価が一般消費者の間にも高まり,これは「プロダクトデザイナー派」の「無言の勝利を勝ち誇っているような現象」だと指摘する。(pp.50-53)
私などは,こうした現象を,マスメディアがデザインの遺産を根こそぎ消費してしまう過程のようにも思っていたから,なるほど当事者はそう考えているのか,と新鮮に感じた。
もうひとつ,Vol.2のセレクションで印象に残ったのは,ヴィクター・パパネックの著書『生き残るためのデザイン』が取り上げられていることである。若造の私は1974年の邦訳発売当時の本書へのネガティブなインパクト(批判,とりわけ無視)については知らないが,パパネックの問題意識が,サスティナビリティやアクセシビリティ,ユーザビリティなどの現代的なデザインの課題を30年も前に先取していたことは間違いない。わたしは数年前に読んで,なんだか当たり前のことばかり書いてあると思った記憶がある。まぬけだ。あらためて読んでみよう。