を読む。
美崎薫『ユビキタスがわかる本 』オーム社,2004
「記憶する住宅」の美崎薫さんの本である。今度札幌で開催される日本建築学会大会の研究協議会「 ユビキタス社会における建築と情報の新しいかたち−ユビキタス社会における建築と情報の新しいかたち」のパネルにお招きしている。あらためて,美崎さんのユビキタス観を確認しておこうというつもりだったが,それ以上におもしろく読めた。
「ユビキタスコンピューティング」という言葉の意味が立場と文脈によって,相当の振れ幅があり,混乱して用いられていることは皆承知のとおりである。美崎の説明を乱暴にまとめると,お前らまずはマーク・ワイザー読んどけよ,ってことだ。(美崎はこんな乱暴な言葉遣いではないが。)
特に,流通にみられるような実業としてのユビキタスコンピューティングにおいては,ワイザーの「森を散歩するようにリラックスしながら使用する」というような,ユーザにとってのメリットがほどんどなくなってしまっているという。(p.XIV)
オープンアーキテクチャーの説明あたりから,様々なユビキタス系技術を論じていくうちに話が拡散していくのであるが,美崎の視点は一貫して,それってユーザにメリットがあんのかよ?ってことだ。(こんな乱暴な言葉遣いではないが。)
ユビキタスな社会を考えることにリアリティが与えられるかどうかは,ユビキタス社会のおける自分自身をどれほど鮮明に想像することができるかにかかっている。ところが,実業システムの発想の多くが,システムにとってのメリットだけを追求して暴走しがちである。個々のユーザを原理的な危険にさらすにもかかわらず,システムの機能によって回避できると言ったりする。我々は当事者としてのユビキタスコンピューティング論を構想しなければならない。
コメント (1)
いつもながら、はい。そういうことです。
投稿者: 美崎薫 | 2004年09月02日 02:39
日時: 2004年09月02日 02:39