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平田オリザ『演技と演出 』講談社現代新書 No.1723,2004
演出論であり,コミュニケーション論である。素人向けの演劇ワークショップをなぞる形で展開する。ワークショップ論としても面白い。
「どうして俳優たちは,私の素晴らしい戯曲を,こんなに下手にしか言えないのだろう(p215)」という切実で臆面もない疑問から,平田は,演出家と俳優,そして観客の,気がつけば些細な「コンテクスト」のずれが問題の中心にあることに気づく。「演出家の仕事は,この関係のイメージ,コンテクストを明瞭にしめしていくことであり,俳優の仕事は,そのイメージを的確につかんで,他者との関係を織り上げていくこと(p114)」だという。本書が,コンテクストを摺り合わせること,イメージを共有することを軸とした,コミュニケーション論としての一般性をもつのはこのあたりにある。
演出家に要求される資質として,平田は次の5つをあげる。
世界観
方法論
構成力
説得力
リーダーシップ
(p13)
こんな資質がとりそろった人なんていねえだろ,スーパーマンかよ,と思いもする。
演出家というのは,いつも,簡単なことを難しそうに言って,自分をえらく見せようとする人種ですから,たいてい 「内面の掘り下げが弱い」 とか, 「戯曲の解釈が甘い」 と言って怒りだし,俳優を責めます。(p108)
あるある。ていうか,これって大学の研究指導の話だなあと,我が身を振り返る。建築家やデザイナーの仕事も,まったく同様の面があるだろう。「なんでこんなことがわかんねえんだよゴラァ」とか内心思ってるわけ。時には口にも出す。しかし,こういうときは,言う方も言われるほうも,どうしていいか全然わからないわけで,なかなか状況は打開されず,もう最悪なのである。
こういうとき,「演出家」の仕事は何なのか?
演出家の仕事は,大きく分けて,演劇作品を構成し観客に届けることと,その構成に沿って,俳優の演技を指導することの二つに大別されると考えるようになりました。そして,この二つは,時に一緒になるにしても,論理の筋道としては,混同しない方がいいことにも気がつきました。なぜなら,この混同が,演出家が俳優に対して権威的になる源泉となっているからです。 世界観,構成,戦略なしに,ただ闇雲に方法論だけをかざして,俳優の演技を指導していたのでは,俳優は,なんのための演技なのか,まったく理解できません。しかし一方で,構成や戦略だけを話されて,実際にそれをどう演じればいいのかという方法論や,それを説明する言葉がなければ,俳優は荒野に放たれた羊のように戸惑ってしまうでしょう。そのような集団では,その集団を導く方針がないために,逆に演出家はいたずらに,権威的にふるまいます。 おそらく,すぐれた演出家ほど,構成の力と,それを実現する演技指導の二つのバランス感覚をしっかりと持っているのです。それが演出家にとって,リーダーシップの源泉にもなります。(p216)
「演出家」として言うべきことがわからないとき,権威的に振る舞ってみてもどうにもならない。積極的に一歩引いて,コンテクストのずれがないかどうかを考えてみる。構成と戦略を,具体的な方法論とともに,言葉で説明しなくてはいけない。まったくそのとおりだと思うが,簡単じゃないなあ。
その点,さすが平田の話は具体的な事例と抽象的な議論がバランスよく進む。脱線も多いが,ちゃんとたくさんの情報を含んでいる。平田オリザの本は初めて読んだけど,他のも読む気になった。機会をつくって芝居も見てみたい。