Waterless - Saving Global Water Resources Since 1991
小便器,いわゆる「朝顔」だ。
ちょっと見慣れない形なのは,給水の機構がないからだ。この便器は,その後,水を流す必要がないのである。商品名は「カラハリ」(笑)
テレビニュースで紹介されている模様が動画で観られるが,疑っているレポーターにメーカーの人が"Peeing is believing!"って言ってる(笑)水を流す必要のない表面の素材と排水部のフィルターが味噌らしい。定期的に排水部のカートリッジをまるごと交換する。
節水ももちろんだが,メンテナンスフリーとすることでライフサイクルコストを軽減するメリットが大きいようだ。メーカーは次のようなリストをしめしている。もっとも特許で独占されたフィルタのカートリッジを買い続けることになりはするのだが。
Our patented Waterless No-Flush™ urinals eliminate and/or minimize these common problems:
- Urinal Odors
- Flush Valve Repairs
- Low Water Pressure
- Costly Flush Sensors
- Stoppages and Overflows
- High Demand On Septic Tanks
- Vandalism
- Line Encrustations
- Leaking Flush Valves
- Water & Sewer Costs
- Rest Room Shut Downs
- Mitigation for Water Usage
アメリカの西部開拓時代には,土地なんかには値打ちがない,価値があるのは水だ,と言われていたという話を思い出した。
ただ,いくら衛生的で臭いがしないとわかっていても,「湯水のように」という常用句をもつ国の人には抵抗があるかもしれない。糞尿を汚いと感じてしまうのは単に黴菌の多寡のような物理的衛生の問題ではなく,文字通り「水に流す」ということの持つ心理的な意味が大きく作用しているからだ。
小便の話からは離れていくが,日本では大皿の料理を箸で取るときは,箸を持ちかえて自分の口に入れていたのとは反対の先を使うという習慣がある。ところが,口の中よりも手の指のほうがはるかに雑菌が多く不衛生であるから,そのまま箸を変えないほうがいいという説もあるという。この説は全然箸を変える意味をわかっていない。嫌なのは黴菌なんかじゃない。間接キス(死語か)になるのが嫌なのだ。
ここから,鷲田清一の『モードの迷宮』冒頭にある,「汚い」とはアイデンティティの問題だ,という話につながるのだが,もうすぐテレビで「水曜どうでしょう」復活新シリーズ「ジャングルリベンジ」第二夜がはじまってしまう。
で,結論だけいうと,水で流して縁を切らないと,おしっことおしっこがつながってしまうみたいな気がしちゃってイヤン,ってことだ。
百式 経由。
コメント (6)
ある行為の価値というのは文化や文脈で大きく違ってしまうことがあって難しいですね。
受け取り手によって意味がちがってしまう情報と似たものを感じてしまいます。
論理的にAだからBという価値判断だけでなく、先生の投稿のような価値って
もっと世の中で大事にされてもいいと思うのです。
ブンブンは来週か再来週でしょうか。楽しみです。
投稿者: あねは | 2004年06月10日 12:29
日時: 2004年06月10日 12:29
たぶん、そういうのはすぐ慣れると思いますよ。そのトイレを数日使ったらもう大丈夫だと思うな。
その「慣れ」の間の橋渡しをいかにするか、ってのもデザインの問題なんでしょうけど、でもちょっと過保護な気もするな。
異文化の橋渡しがあまりスムーズにいってしまうと、せっかくの異文化の意味がない。抵抗を感じながらもついやってしまう、というのがいいな。
投稿者: もとなが | 2004年06月20日 14:45
日時: 2004年06月20日 14:45
そういう意味では、尿意という強力な後押しがある朝顔の場合、エンドユーザーに対するデザインはあまり必要ないのかも。
で、導入するか否かを決定する立場の人間に対して、TOCとかの理屈だけで充分なのか、ブツのデザインも必要なのか。
って話になると正直急速に興味が薄れてしまうのですが、なぜでしょうか。使わない奴に向けたデザインはむなしいのか。
投稿者: もとなが | 2004年06月20日 14:54
日時: 2004年06月20日 14:54
TOCじゃTable of Contentsですね。打ち損ない。TCOだった。
投稿者: も | 2004年06月20日 14:57
日時: 2004年06月20日 14:57
導入するか否かの判断をする人には,コスト的なメリットをしめせば十分でしょう。もちろん,利用者のクレームもコストね。
コスト算出にあたっては,「使わない奴」の想像力の問題になってきます。「デザイナー」も「使わない奴」である。
てことで,当事者性の問題が前景化してくるな。
投稿者: もとえ | 2004年06月21日 13:27
日時: 2004年06月21日 13:27
それから別の論点ですけど,この便器の場合,「流さなくてもいい,そのまま立ち去れ」ってことを利用者に分からせる必要がある。公式サイトにある事例なんかを見ると,それが貼紙でなされている。それは冴えませんな。どうすりゃいい?
投稿者: もとえ | 2004年06月21日 13:30
日時: 2004年06月21日 13:30