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『ミクロコスモグラフィア』

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西野嘉章『ミクロコスモグラフィア  マーク・ダイオンの[驚異の部屋]講義録 』平凡社,2004

平成14年12月から翌3月にかけて,東京大学総合研究博物館小石川分館で開催された展覧会「ミクロコスモグラフィア」の記録である。

巻頭にカラー図版がある。東大にある学術標本の数々を,美術家マーク・ダイオンがインスタレーションを行なったのがこの展覧会だ。ひとつひとつの標本の説明はなく,8つに分割された部屋ごとのテーマに即した展示がなされている。実にすばらしい。この展覧会を見逃したのは一生の不覚だ。


テキストは,会期中に会場で行なわれた,いわゆるギャラリートークの記録である。展示されている標本を見ながら次々と溢れ出てくる言葉は実に魅力的で,筆者もいうように「オートマティスム」のおもむきがある。

筆者は繰り返し,「情報への還元主義が幅を利かせ」「標本のすがたを観るより先に,そこに付されているラベルを読む」ような,学術専門家の「視野狭窄」を憂う(p271)。「学術性を振りかざす専門家は,往々にして,モノを片眼でしか見ていない(p272)」。

たとえば次のようなエピソードが語られる。ホコリまみれの古い瓶の中で見事な琥珀色に変色したアルコールに漬けられた河豚の標本が見つかった。一緒に置かれていた独語論文の抜き刷りから,歴史的に意味のある貴重な学術遺産であることがわかった。そこで標本をクリーニングすることになった。後日,戻ってきた標本をみて筆者は愕然とする。新品の瓶,新品のラベル,無色透明なアルコール……「そのときわたしは,理科学的なものの考え方の一端を,初めて理解しました。たいせつなのは標本瓶の中にある魚体そのものであって,標本瓶の現在を取り巻く歴史の経緯や,その結果として醸しだされる歴史的な味わい,すなわち風情や風格などでは断じてない,ということを。(p137)」

人がいわく言いがたい暗黙知を抱えているように,モノにも暗黙の情報がこもっている。環境情報デザインが扱う「情報」は,このような理科学的に還元されてしまうような貧しい「情報」であってはならないだろう。


追記:microcosmographia_catalog
東大博物館経由で本展キュレータの飯田高誉氏にコンタクト。
図録(シリアルナンバー#0831)を入手した。
『講義録』とは補完的な関係。

コメント (3)

nstv:

PCのマザーボードと人形を隣合わせに陳列してあるケースや、照明を落とした標本室が印象的でしたね。

シリアル番号入りのカタログはまだ入手できるのかしら。

もとえ:

nstvさん,こんにちは。
展覧会ごらんになられたのですね。うらやましい。

そうか,この本とは別に図録も発行されているんですね。それもぜひ見てみたいなぁ。東大の博物館に問い合わせてみたいと思います。

なかむら:

まだ、展示物は残ってるみたいですね。
http://d.hatena.ne.jp/yugi713/20050227

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2004年05月27日 23:41に投稿されたエントリーのページです。

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