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オタクのファッションは変化しているか

秋葉原を徘徊するオタクのファッションは変化しているか・2004年報告
秋葉原オタクファッション調査2004、考察とまとめ
2004年春・秋葉原のファッションシーン(汎適所属)

圏外からのひとこと(2004-05-27)経由。

以前よりはマシになってきたという指摘だが,これは「若年男性オタクに比較的共通してみられたファッションの向上は、彼らが能動的に行った結果ではなく、単に彼らが衣類を入手する店の商品が似非モード化したからに過ぎない」のであって,「結局のところ『ファッションに時間と お金と注意を払っていない』というセントラルドグマ自体は変化していない」という。

このとき,「彼らが衣類を入手する店」というのは,郊外型量販店をさす。具体的には「西友・ジャスコ・ファッションセンターしまむら・ユニクロ」などのことだ。こうした店舗の商品が「似非モード化」しているという指摘は,郊外的なるものの普遍化・一般化のプロセスを捉えていておもしろい。

個々の意志が弱いところにこそ,文化の基底が露出する。服飾においてはそれがオタクだというわけだ。

コメント (5)

もとなが:

これ、ぜんぜんオタクファッションに限った話じゃないですね。服飾に関して個々の意志が弱い。一般人の話じゃないですか?

ユニクロは弱い個性を消滅させる。すごく変わったやつと個性がないやつに二極分化してしまう。
ユニクロが悪い訳じゃないんだけど。

もとえ:

たしかにオタクに限らないですな。

より一般化すると,自分が気にしている範疇のものを,他の人が軽く扱っているとき,なんでー? と思う。ワカッテナイナァと思う。啓蒙思想のはじまり。

ユニクロの啓蒙力は強烈だ。一番手に入りやすく無難なものを手に入れているだけなのに(似非と呼ばれようとも)モード的になる。気がつけばまずまずの出で立ち。「おしゃれ」じゃないにしても。

建築のユニクロもけっこうあるもんな。
MUJIは出来上がったみたいだし。
http://www.muji.net/infill/se/
「木の家-1」って「マイナス1」かと思った。何か足りない w

それにしても,これだけ全面的になると,無印はバウハウスの子どもだって気もしてくる。

となると,次は学校だろうな。学校建築じゃなくて教育システム。無印学園。

もとなが:

軽く扱ってはいるが、まったく無視している訳でもない、という辺りが気になります。そういう、一見世の中に影響のない、取るに足らない、個性とも呼べないと思われがちな些細なものの層の重なりの数がどれだけあるか。フツーであって、均一ではないもの。

ユニクロもMUJIも、層を厚くしてはいるかもしれないけど、他の層を浸食して一層化するのがヤなんですよね。ミルフィーユみたいなのがいいな。ミルフィーユの層一枚一枚を論じてもあんまり意味はないだろうけど。

ブランドで括って均一だと断言するのも早計かもしれませんが。ユニクラーはユニクラーなりに様々。かな?。やっぱみんな一緒に見えてしまうんだよなー。

もとなが:

シフォンケーキでも、中の状態は均一ではないという見方もありますね。スポンジの泡は一つ一つ違う。でもなー。やっぱなー。

もとえ:

MUJIが,中身はヨウジヤマモトなのに大きな声では言えない,みたいな煮え切らない態度なのは,ファッショナブルであることと「無印」であることの矛盾なのでしょう。

ブランドは「括って均一だと断言する」ためにあるんであって,「無印」というブランドは単純な撞着語法(矛盾する形容で強い印象を与える修辞法ね)なんだもの。長く引っ張るのは苦しいさ。

あんまり根拠がなくてイメージ的な話になるんだけど,そこらへん「しまむら」は情け容赦なくて,シフォンケーキ上等,みたいなパワーがある。そんなのファッションじゃねぇよ,という批判はあるでしょうけど。

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2004年05月27日 12:25に投稿されたエントリーのページです。

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