essay about Infomation Space (project proposal)
江渡浩一郎さんのテキスト。URLからみて,十年前のものかな。"Mosaic"やら"archie"やら"Gopher"が出てくるし。知ってますか?
しかし,今でも古くならない重要な指摘がたくさんあっておもしろい。
都市をメタファーとして情報空間を構築しようとしている研究が多数あるのだが、実は実際の都市のインターフェイスを、そのままコンピューター上にあてはめてはいけないのではないだろうか。コンピューター上で、ネットワーク上で考えたインターフェイスを元に、それを逆に実際の都市のほうへあてはめていくようにしなければいけないのではないか。実は、ネットワーク論というのは、究極的には、都市とはなにか、都市論にまでいってしまうのではないだろうか。
とか,
イギリスの大学の中には、例えばボタニカルガーデンがあって、木々や草花がたくさんあって、散歩できるようになっている。空間は、広すぎもせず狭すぎもせず、目線がほどよくさえぎられるようになっている。季節によって変化のある植物が植えられている。あちこちに座る事ができるような場所がある。結局のところ、イギリスの大学のような空間は話をするための空間なのだ。大学の中の広い空間のあちこちが、座って話をしようと誘っている。現在のInternetの空間の中では、そのような会話のできる空間というのは、ほとんどない。
とか。
Mosaicは簡単すぎるのが欠点だといい,
Mosaicはあくまでも情報を受けとるためのツールでしかなく、その受け止めた情報を、咀嚼し、自分のものとするためにはMosaicだけでは足りない。例えば会話するだけでもいい、自分の言葉を外へと開かせることが必要だ
とか。
BlogやWikiはそういうことへの道として注目されているのだろうと,今なら言えるな。
このテキストを見つけたのは,「声のかけら。」