を読んでる。
西垣通『基礎情報学—生命から社会へ 』NTT出版,2004
情報とは「生命体にとって意味作用を持つもの」だという西垣の基礎情報学は,意味を捨象するシャノンの理論とは違うところから始める。オートポイエーシス,ルーマンの理論社会学,ホフマイヤーの生命記号論,ドブレのメディオロジーなどが援用される。
西垣によれば「情報」はより厳密には,次のように定義される。
情報とは,「それによって生物がパターンをつくりだすパターン(a pattern by which a living thing generates patterns)」である。(西垣p27)
これはベイトソンの情報の定義「差異を作る差異」に近いが,ベイトソンからは生物の面が抜けているという(西垣p29)。
『記号の知/メディアの知』でも取り上げられていたけれども,パースの記号論がここでも重要だ。
パースの「記号(sign/representamen)」「指示対象(object/referent)」「解釈項(interpretant)」からなる三項関係の記号作用プロセスは,「仮説推量(abduction)」と呼ばれる。西垣の挙げるアブダクションの例は,「医者が患者の発疹から病名を麻疹と診断するとき,記号は発疹,指示対象は麻疹であり,解釈項は医者の心の中でつくられる麻疹のイメージである」というものだ。(西垣p32)
ちなみに,パースの記号論は「個人の思考過程や認知活動に着目して「意味」をとらえていく」動的なものであるのに対し,ソシュールの記号学は「言語共同体における世界の分節化とい社会的・文化的な観点から」意味をとらえており「静的」であるといえる。
西垣は,パースの記号作用のダイナミックさに注目している。それが,生物が意味を生成していくプロセスをモデル化するからだ。
「単にある記号が何が別のものを指し示すという静的な関係ではなく,より動的な関係が重んじられる」パースの記号論の,記号作用のプロセスにおいて「解釈者の心のなかで推量が行なわれ,記号が次々に別のものを指し示していくという過程が繰り返される」ことが本質であり,「この一連の推量過程で出現する解釈項の全体が「意味内容」にあたる」という。(西垣p53)
そのような「解釈項がさらに新たな記号表現となって新たな解釈項を生みだし,次々に三項関係を形成していく過程」が,アブダクションである。
アブダクティブな意味解釈においては,「誤りが生じる余地があり,記号表現と記号内容の関係は常に精確で固定したものではない」のだが,これは逆にいえば「解釈の自由度」だといえる。(西垣p54)
解釈には自由度があるので,パースによれば「世界とは解釈者と関係なく客観的に存立するのではない。知覚されたもの(記号表現)から推量の過程を積み重ねて解釈者の中に堆積された意味内容と経験が世界をつくりあげる」とされるが,西垣はこのパースの「プラグマティックな考え方」が「関係概念としての情報」とつながるという。(p55)
この「関係概念としての情報」ってのは,
情報は生命体という解釈者(観測者)とともに出現したものであり,生命体と無関係に存在する実体概念ではない。逆にいうと,生命体が解釈する情報とともに世界が立ち現れるのである。(p55)
というふうに説明されている。現象学だな。
ことほどさように,生命体あっての情報とその意味であるからして,
「意味=価値」とは,天下りに存在するものではなく,進化史における膨大な試行錯誤と,それをもたらす膨大な情報交換(記号過程)を通じて事後的に生成されていくものなのである。そして,生命体の「情報の意味解釈の仕方」の継続性が「意味=価値」の安定を支えている。すなわち,進化において「生き延びていく」のは,個体や種や遺伝子というより,むしろ「情報の意味解釈の仕方」なのである。(p63)
このように,「生命体の生存にとって有用であるもの,重要であるものが「意味」なのである」(p61)とくると,これってギブソンの「アフォーダンス」なのか?って話になる。西垣もアフォーダンスにふれている。
しかし一般には,アフォーダンスは関係概念ではなく実体概念であって,環境のなかに実在するとされている。私に言わせりゃそれがアフォーダンスの凄いところなんだけど,西垣は情報は関係概念だと言ってるから対立してしまうな,と思っているとちゃんと注がある。
「しかし,実はこれは表面的・用語的な相違にすぎない。より深い次元では,アフォーダンス理論と基礎情報学とはむしろ共通点も大きく,相補うのである。詳しくは西垣通『こころの情報学』(ちくま新書,1999,pp150-164)を参照。(p61注12)
そんなこと言わないで,ここで説明してくれよん(爆)
環境情報デザインのことを理論的に定位しようとすると,現象学で記号論でアフォーダンスだよなぁと考えているわけだけれども,西垣のように「なる」って話(よくわかるんだけど)と,デザイナーとして「する」って話との間にどう橋を架けるかが課題だなぁと思われる。
コメント (2)
(その節はお世話になりました、unoです)
わ、面白そうな本ですね。私も読んでみます。
投稿者: uno | 2004年03月23日 00:27
日時: 2004年03月23日 00:27
unoさん、こんにちは。
『基礎情報学』読み進めておりますが、中盤はオートポイエーシスと情報をめぐるネチネチと概念的な話が続きます。スリリングではありますが、ちょっとしんどくなってきました(笑)
このネチネチした「情報」と「コミュニケーション」の再定義の果てに、どれほどの可能性が拓けるのか、期待と不安が交錯しますね。
投稿者: もとえ | 2004年03月25日 11:28
日時: 2004年03月25日 11:28