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下条信輔『まなざしの誕生—赤ちゃん学革命 』新曜社,1988
心理学者による「赤ちゃん学」の紹介。赤ちゃんの研究や,障害者の研究が,既存の人間像とせめぎあう新しい人間観を切り開いていく。
「モリヌークスの問題」が紹介されている(p.113)。
先天的な盲人がいた。経験によって,触覚だけの手掛かりから,立方体と球を区別して言えるようになっていた。この盲人が,肝がん手術を受けた結果,正常な視覚機能を得たとする。さて,この人は手術直後に,触らずに見ただけで,目の前の立方体と球とを正しく区別して言い当てることができるか?
これは「モリヌークスの問題」と呼ばれる問題で,空間認識の発生についての問題をよく示す例として知られる。
この問題は17世紀末の英国で作られた。出題したのが法律家兼哲学者のモリヌークス氏。回答を迫られたのが,当時の代表的な哲学者ジョン・ロックなのだそうだ。
経験論のジョン・ロックは当然「ノー」と答えた。しかしこれが先見論のカントなら「イエス」と答えるであろう。これは哲学的・理論的な回答である。
当然,盲人の開眼手術を通じて実験をしてみた人は少なからずいたようだ。しかし,結果は芳しくない。先天盲人が正常な視力を獲得することは不可能なようなのだ。したがって,モリヌークスの問題は前提に無理があることになる。つまり,モリヌークスの問題は,手術直後に見えるか,という問題と,物体を区別できるか,というふたつの問題に分けられるのだが,第一の問題がそもそも無理であって,したがって第二の問題については答えることができないというのである。
そこで,赤ちゃんの実験でモリヌークスの問題に取り組んだ人たちがいる。メルツォフらは,赤ちゃんに暗闇でツルツルのおしゃぶりあるいはイボイボのおしゃぶりを使わせてから,ふたつのおしゃぶりを見せて,どっちをよく見るか,を調べた。すると,なじみのあるほうをよく見るのだそうだ。その実験が伝えるのは,触ったときに感じられるものの形と,目で見たときのものの形とを関係づける能力は,赤ちゃんにもすでにあるということだ。実験結果はカントを支持する。
これって知覚システム論じゃん,と思っていたら,「ギブソン夫妻」もちゃんと出てきた。「ギブソン夫妻」という書き方はあまり見たことが無かったので,ちょっと新鮮。イームズ夫妻みたいだ。
視覚や触覚の感覚の区別を越えて結びつける能力をいかに説明するか,には大きく三つの仮説があるという(p.135)。第一は,ヘルムホルツらの「経験による連合」説。繰り返しているうちに「空間」として共通の意味を帯びてくるというもの。第二は,ピアジェら。赤ちゃんが積極的に行動し,刺激→反応を同化・調節するうちにシェマを獲得するというような話。第三が,ギブソン夫妻の知覚論。変化する世界の中から,不変項を探索する。不変項は特定の感覚に依存しないから,そもそも視覚と触覚を区別する必要がない。
こうした議論は,知覚に関する還元主義的な我々の常識をゆさぶるものであろう。
わたしたちおとなは,五官の区別を当たり前のこととして受け入れているし,また生理学を土台とする自然科学的な人間観からしても「はじめに視覚や聴覚,触覚などの区別ができるようになり,次にそれらの関係に注目し,組み合わせたり結びつけたりすることによってものごとの概念が成り立つ」という考え方は,いかにももっともらしい。
けれども,このような「生理学の積木」式の考え方は,いってみればおとなの観点,自然科学の観点からの議論のさかだちである。(p140)
これは15年以上前の本なので,赤ちゃん学はきっともっと進んでいることだろう。