OperaなPHS, AH-K3001
DDIポケット、Opera搭載のPHS端末『AH-K3001』を発表††“つなぎ放題コース”に対応
「フルスクリーンモードで、さらに表示を50%に設定して表示」
おお,これは良さげですな。
これにBluetoothとGPSが付いてりゃ,マイケータイズも一本化できるんだが。
« 2004年04月 | メイン | 2004年06月 »
DDIポケット、Opera搭載のPHS端末『AH-K3001』を発表††“つなぎ放題コース”に対応
「フルスクリーンモードで、さらに表示を50%に設定して表示」
おお,これは良さげですな。
これにBluetoothとGPSが付いてりゃ,マイケータイズも一本化できるんだが。
GPSを持って測位しながら移動し,その軌跡を図化するシステム……と説明するとカタいが,できたものはかなりバカっぽくてイイ。ま,解像度は低いが「人生スパイラル」も同じようなものだといえる。しかし我々には,意図的に絵を描こうという発想はなかったな。
ハリウッドの街を使った○×ゲームもある。4時間半かかったってさ(笑)
素朴だけど,Six Spirals も好き。延々とグルグル歩いている様子が忍ばれます。
日本からの投稿もあって,トライアスロン時のの心拍計とGPSの記録をオーバーラップさせている。これなどは,データを場所に配列する方法の見本といえる。余談だが,図版の色使いが妙に日本風だと思われた。
GPSでは高度も測定できるので,in the air のようなこともできる。普通の旅客機に乗りながらなんてのもある。さすがに離着陸時は動作させなかったみたい。あたりまえだけど,飛行機って高いところまで上がったら真っ直ぐ飛ぶのね。
東北大学で建築史家 五十嵐太郎さんの講演会が開催されます。
誰でも入れるようです。ふるってご参加ください。
●
東北大学大学院工学研究科
都市・建築学専攻特別講演会
五十嵐太郎
建築と自由
現在、興味をもっているのは、執筆中の『過防備都市』と企画に関わっている「オルタナティブ・モダン」の連続シンポジウムのシリーズです。いずれにも共通するキーワードは「自由」なので、建築との関係を考えたい。-五十嵐太郎
イガラシタロウ/1967年パリ生まれ、建築史家、建築評論家。1990年東京大学工学部建築学科卒業、1992年東京大学大学院修了、2000年博士(工学)。現在、中部大学工学部建築学科助教授、東京大学、東京芸術大学ほか非常勤講師。著書/『終わりの建築/始まりの建築』INAX出版、2001年、『新宗教と巨大建築』講談社、2001年、『近代の神々と建築』広済堂出版、2002年、『戦争と建築』晶文社、2003年、『リノベーション・スタディーズ』(編著)INAX出版、2003年、『磯崎新の建築談義』(共著)六耀社、2001年、ほか多数。http://www.cybermetric.orgにて活動の軌跡を公開。
日時:平成16年5月12日(水)15:00~17:00
場所:人間環境系土木大講義室
場所
長くかかります
を連休中に見てきた。すでに会期は終了。
会期終了直前とあってなかなかの混雑。
鈴木博之先生御夫妻にもお目にかかる。
図録はすでに売り切れで入手できず。
大御所の力の抜けた名人上手なパネル(青木淳,妹島和世とか)や,大手事務所やゼネコン設計部のカッチリした模型や図面(特に写真がカッチリしてる)や,物量で押すタイプ(手塚夫妻,藤本壮介)などなど。ただ,表現のバリエーションはあるようであんまりない。同時代展だからどうしてもこうなるってことか。
世代縛りのカタログ展覧会は,とりわけ私自身もその世代に入っていることもあって,違和感がなさすぎてかえって印象が弱いように思った。これは私の感受性が鈍っているってことでもあるから,ちょっとヤバいかも。
子どもと一緒だったのだが,一番印象に残ったのは何かと聞くと,鯉のぼりのトンネルとプラレールだという。みかんぐみ,恐るべし。もっとも,建築じゃあなくて鯉のぼりの布と機関車トーマスに反応しているわけだけど。
無印良品の店頭で,おそらく新製品の「ペーパーバックノート」を手に取ってパラパラとめくった瞬間,あ,これは「週刊本」だ,と思った。とりわけ具体的に想起したのは,中村れい子を撮影した篠山紀信の写真集『微分』だ。で,これはパラパラ漫画を描くためのノートなのだと了解して,山ほど買ってきた。さっそくひとつ描いてみた(私家版につき非公開)。
「週刊本」というのは,1984年に朝日出版社が刊行を開始した叢書で,週に数冊ずつ出るので「週刊本」という。ペーパーバック風の紙と装丁が特徴だった。刊行リストを今見れば赤面を禁じ得ないようなバリバリに80年代的でポッストモッダーンなシリーズなのであるが,私の青春の本であることもまた否定できないところではある。
写真に手元にあったものがまとめて映っているが,一番好きなのはやっぱり篠山紀信。あとは高杉弾と坂本龍一のがよいです。高杉弾,いまどうしてるんだろう。
を読む。Passion For The Futureで絶賛されていたので手にとった。
樋口裕一『人の心を動かす文章術 』草思社, 2004
「私ほど下手な文章を大量に、しかもじっくり読み、たくさん添削指導した者はいないだろう」という筆者は,予備校や通信教育で20年以上にわたって6万編におよぶ小論文の添削指導を行なってきた人である。本書にはその添削の実例集が載っている。添削の前後で見事に文章がよくなっている。赤ペンの指摘も端的で的確だ。(私も職業柄こうした添削をやるが,こう鮮やかにはできない。添削術も学びたい。)
若者の驚くべき作文能力のなさを悲惨な実例をあげつつ憂い,「日常生活に支障があるほどに文章を書けない」人が多くいる現状を,日本の作文教育の問題だと指摘する。ろくな指導もなしに行事や読書の感想文を書かせておしまい。早稲田の第一文学部を皮切りに,作題や採点が難しい小論文入試の廃止が相次いでいる。教育の場において書くことの大事さが十分に理解されていないことにも問題があるが,それ以上に「作文をテクニックとして考えない態度」が問題だという。日本には,物事をテクニックとして捉えることを好まない風土があるというのだ。
こうして,書き方のテクニックを教えず,個性を出すためのテクニックも教えず,「作文はその人のありのままの姿を現すものだから,飾らずにありのままの自分を書け」という作文教育がなされることになる。文体を飾る,文章の遊びをおこなうという,まさしく文章のテクニックを習得させることを拒み,ある種,精神の修養として作文が位置づけられている。「遠足は楽しかった」「交通ルールを守ることがだいじだ」といった人間としての成長を書くのが作文だとみなされている。
その結果,「個性的に書け」という掛け声とは裏腹に,みんなが同じような道徳的な作文を書いてしまう。稚拙な文章が「子どもらしい」ということで評価されることになる。(p31)
問題の中心は,身もふたもないほどに「テクニック」である。トーンこそ全然違うけれども,その姿勢には『ウケる技術』と通じるものがある。属人的とされてきた技を体系化して列挙し,脱神秘化する。
たとえば,文章にはメリハリが必要であるとし,そのためには以下の五つのテクニックがあるという(p159)。
- 遠景と近景を使い分ける
- クローズアップとスローモーションを用いる
- 短い文と長い文を使い分ける
- 漢字・カタカナなどの使い分けで雰囲気を変える
- 会話で気分を変える
また,「読み手に雰囲気を感じさせるための,とっておきのテクニック」として,心理描写のかわりに,単に情景を描写する方法が示される。「わが家で14年間ともに暮らしてきた愛犬のタロウが死んだ。私はずっと庭にある犬小屋を見ていた。雨が庭の木をぬらして,犬小屋に伝わっていた」というように。「あまり多用すると嫌みになるが,ここぞという箇所でこの手法を使うと文章全体が生きてくることがある。上手に使ってほしい。」
「テクニック」は,それだけを取り出して人から示されると拍子抜けするようなものである。あからさまで身もふたもなく,簡単で,なんだか馬鹿みたいなんである。しかし,自然に「テクニック」が使えるようになるには地道な「練習」が必要だ。筆者は「自転車を練習するのと同じくらいの労力と辛抱を惜しみさえしなければ」文章は書けるようになるという。
だからちゃんと本書には各章末に練習問題がついている。でもこの問題だけじゃ自転車に乗れるようにはならない。もっともっと練習しなくちゃならない。その労力と辛抱を惜しまないようにするためにはどうすればいいんだろう。
自転車は乗れるとすごく楽しい。あ,乗れた,って自分でよくわかる。
文章も自転車と同じように,ある時ふいに,あ,書けた,って感じられるものなんだろうか。
私は大学でデザインを教えている。デザインに,あ,できた,って感じられる瞬間はあるか,と聞かれれば,そりゃあるさ,と答える。答えるけれど,その瞬間に到達するために,どれほど労力と辛抱が必要かを測定するのは本当に難しい。
問題はテクニックである。それにはまったく同意なのだが,テクニックを知ることと身に付けることとの間には大きな懸隔がある。テクニックを身につけさせたい教師として,自らもテクニックを身につけたい学習者として,その懸隔の深さと広さを思う。いつの間にか降り出した雨が,研究室の窓を濡らしていた。
休日出勤なのだ。
居候問題について,発表者は以下の6名とします。
書画投影機を用意しておきます。
20222032 木村綾
20222035 今野秀太郎
20222055 高橋徳
20222080 葉坂孝也
20222089 鳳京智道
宮城教育大学 前田和幸
Winny開発者逮捕へ
東大助手、違法複製ほう助 京都府警が全国初(東京新聞)
なんだか釈然としないが,すでに逮捕されたようだ。
京都新聞の記事が地元だけあって詳しい。
Winny開発者を逮捕へ 京都府警、30代東大助手 国内初
京都府警が今回、ウィニーという通信ソフトの開発者を著作権法違反の「ほう助」で立件に踏み切るのは、同ソフトをネット社会における「拳銃」の開発に等しい、と判断したといえるだろう。
ITmediaモバイル:世界最小69グラムのiモード端末「premini」
ケータイPRESS: ドコモ、小型iモード端末「premini」を開発
カメラも充電台もなし。機能を絞り込んで,とにかく小さく,質感高く作ろうという基本姿勢には共感するものの,(1)PDCでいいのか? (2)そのかたちでいいのか?
一斉に発表されたVAIO pocketやtype Uもビミョーだ。
(3)大丈夫か,ソニー?
type Xはテレビ番組を各局「とりあえず全部」録画しちゃうってところが新しいかも。美崎薫さんいうところの「ぜんぶ系」の新商品として注目。
いくつか発表されたプロトタイプと,今度出る"KOTO"の紹介。それぞれの写真はキレイではあるが,えらいたくさんクリックしないと知りたい情報に到達できずウザいフラッシュ。
KOTOは,メールボタンのアイコンが紙飛行機だ。目新しくはあるんだが,アイコンってピクトグラムなんだから勝手なことしちゃいけないような気もするな。
ボーダフォン2004年夏モデルは普通っぽくて結構よさげ。VodafoneもGPS出せばいいのに。
東北大学での五十嵐太郎氏の講演会。会場は立ち見もでる大入でした。
という予告が開発元から届いた。
Dongleを「ダングル」と書くのは普通なのかな。昔はドングルっていったけどな。
ドングル,ダングル,ダァンゴォオ。ともかく,起動用ハードウェアが必要になる。
私はPowerBookで使うことが多いので,こういうのはとても面倒なのだが,その面倒をユーザに強いねばならないほどの目に余る不正コピーが出回っているということだろうな。MiniCAD時代からの美しい伝統は失われた。みんな,ちゃんと買わないからさ,トホホ。
大学の共用機のドングルは盗られてしまうこともある,管理が大変だ。
e は終わった。
これからは u だ。
次世代IT戦略、波及効果は120兆円 総務相提案へ - asahi.com : 経済
IT(情報通信技術)の発達で05年までに日本の役所から書類がなくなり、すべてはフロッピーで済むシステムになる。世界で最も電子化された政府が誕生する。国土が狭い日本が光ファイバーの整備で米国に負けることはない。
次は f だな。
Yokoso ! Floppy Japan
追記:麻生大臣の発言は2年前のものだそうで。だとしてもかえって微妙な気も。
東北大学のナンシー・フィンレイ先生が仙台でワークショップを開催する予定です。
公式サイトなんかは準備中の模様。
ワークショップはいくつかのパートに分かれていて,任意のパートだけでも全体通しででも参加できるようです。
7月のワークショップは,原風景,身体の動法,ボディ・マッピング,ウォーキングシリーズなど。住宅の古材で大きな炭を焼く炭焼きイベントを経て,9月に定禅寺通りのジャズフェスティバルにあわせてインスタレーションなどのワークショップ。
私が聞いたところでは,身体から,衣服や身の回りの様々な物のスケールを経て,建築や都市まで,バラバラになっている関係を連続的につなぎ直すようなことを狙っているようで……と,書きはじめたものの,問題設定がデリケートなので,ねらいが伝わりにくい部分があります。お願いすれば宮城大学でもフィンレイさん本人による説明会を開催してもらえるようです。
興味のある人は気軽に本江までコンタクトしてください。まずはメールでも。
身体の動法などはなかなか面白そうで,私も時間的に全部は無理でもちょっとは参加してみたいと思っています。
それから,まだしがかりみたいですが,資料を研究室の前に貼っておくので見てみてください。
Japan.internet.com デイリーリサーチ - 携帯を使ったキャンペーン、利用進まず
携帯電話から何らかのキャンペーンを利用したことが「ある」と答えたのは38%で、2003年10月に行った調査よりも4ポイント減少している。 (中略) 「オンラインで応募するキャンペーンは、PCと携帯電話のどちらから応募する方が便利か」という質問では、相変わらずPCが圧倒的に多く86%、携帯と答えた人は5%だった。利用者の感想から考えると、応募にかかる料金と手間が敬遠の理由と思われる。
携帯電話って使いにくいもんなぁ。
パケ代自腹ってのもなんだか嫌だし。
定額になればそのあたり気分が変わるのだろうか。GPS付きのFOMAか,もちっと姿がマシな1x WINが出れば定額に換えたいんだが。
見てまいりました。
テレビゲームでステージクリアしたときのムービーみたいなのの,うんと長くてチョー精巧なの。で,愛は人類を救う,と。地球が救われるのかどうかはわからないけど,「任された」ぞと。ま,ストーリーはちょっと退屈。話の古くささと映像の新しげな様子とのギャップにはしびれる。
キャラクタはモーション・キャプチャーで動いているから,遠目で動作だけ見てると人間そのもので,ウルトラマンとかデカレンジャーみたいにみえたりする。これはこれでおもしろいな。計算機のパワーさえあればリアルタイムでマルチアングルのCGアニメがテレビ放送でできるかもしれない。
原作が古いからか,物語に登場するテクノロジーには新味はない。巨大なセントラル・コンピュータに「ガイア」なんて名前がついているあたりも懐かしさを通り越して新鮮ですらある。ディスプレイ類もちゃんと枠の付いた薄型テレビである。
脚付きの巨砲がグキュグキュキュガチャキューンと動き出すあたりは非常に嬉しくなる。主砲を撃つにはチャージの時間が必要で,その間,砲身はビリビリ放電しなくちゃならない。銃を撃ったら反動で身体を反らすし,薬莢はカラカラと音をたてて床を跳ねなくてはならない。悪漢と対峙するシーンは雨が降るはずだし,窮地から逃げおおせた恋人たちの浜辺は白々と夜が明けねばならない。伏線は伏線らしく謎めいて記憶に残らなくてはならない。
全編これ様式美。
俺たちの好きな「アニメ」ってのはやっぱりこういうのだ。
象印の「みまもりほっとライン」のホームページに寄稿しました。昨年のモンペリエの時の話です。
パーマリンクはこちら。
日本文化とみまもりほっとライン
昨年秋のフランスでおこなった,モンペリエ国際建築ワークショップのブックレットが届きました。見たい人は研究室までどうぞ。一部10ユーロで頒布もいたします。
今年も11/27から12/11の日程で同様の国際ワークショップを開催する予定です。今度は豪州メルボルンだ。
を読む。
西 研『哲学的思考—フッサール現象学の核心 』筑摩書房, 2001
この本はあとがきがおもしろくて,そのことだけはすでに「仕事,作品,共有」に書いた。仕事をして作品を作り,それを共有していく。
私にとっておもしろかったのは第6章「科学の成果をどう理解するか——生活世界と学問」だ。
フッサールは『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』で,幾何学や物理学の成立過程を論じながら,「具体的な現実の日常的世界を基盤として学問が成り立つ」こと,つまり諸学問の生活世界への還元をおこなう。さらにもう一段「超越論的還元」によって「学問の客観性(信頼性,普遍妥当性)の意味と根拠とをできるかぎり深いところから理解しよう」とする(のだそうだ。私は読んでません。)
還元一段目にあたる,諸学問の生活世界への還元,はだいたい以下のようなことだ。
未来派図画工作の新作スクリ−ンセーバ。世界中の色の名前を集めている。東欧語は読めないのだが,それでも楽しい。
を読む。
瀧口範子『行動主義—レム・コールハースドキュメント 』TOTO出版, 2004
コールハースの追っかけ本。さくさく読めます。周囲の編集者や模型屋,研究者のインタビューもおもしろい。ブルース・マウも入ってればなおよかったな。
それにしても忙しいコールハース。アポが取れない筆者の苦悩が繰り返し吐露されます。とにかく忙しいのが好きで,そういうのに憧れている血圧の高い人は萌えるでしょう。私は正直ちょっと引きました。引きましたが,建築ってのはおもしろそうだぞ,と改めて思わされる本でありました。やっぱコールハースすげー。
以下,おもしろかったところの抜き書き。
が,非常に小さい規模だけれども,大学にほど近い紫山の金港堂書店で行なわれており,『現代思想』の2001年12月臨時増刊号「現象学‥知と生命」と,2002年9月号「特集:知的所有——情報は誰のものか」を求める。
前者には河野哲也「ギブソンとメルロ=ポンティ」が,後者には重田園江「GIS 空間を掌握する」が掲載されていたので。これから読む。でも今週はちょっと忙しい。
dodgeball.com :: location-based social software for mobile devices
GPS携帯の位置情報をつかったソーシャルネットワーキングサービス。居場所を知らせると,近くに居る友人や周辺の情報が返る。
iCAMSのソーシャル版といったところか。
本頁にRSSTIMESを設置しました。
MTのプラグインはインスコが面倒ですが,これはRSSベースで簡単。imgタグ貼るだけ。すばらしい。ありがとう。
午前中は寝てるけど,わりとまんべんなく更新してんだな。>おれ
まだ設立されたばかりのようで,「設立主旨」ぐらいしかないんだけど,研究部会の連携によるボトムアップでいこうというコンセプトはおもしろい。
観光学を情報という新たな切り口から攻めて行くということでもあるし,情報学をドメインしばりにするとこういう枠組みが考えられるということでもある。さしあたり,カーナビ,GIS,RFIDタグなどがキーテクノロジーになるのだろうが,「ご紹介」や「ご案内」を越えて,観光資源そのものの創出に情報デザインは寄与できるものだろうか。
世界各国の統計を一覧できる。しかもクリック一発で横断的に見られる。
提供はCIA。少々は操作されてるのかもしんないが,何かをざっくり確認したい時には非常に便利。
たとえば,今日のFMの講義でも使った世界の高速道路総延長ランキング。
世界一はアメリカ。日本は6位。
では2位はどこでしょう。意外でした。
石田豊氏の「デジタル/シゴト/技術[スタジオ・ポット/ポット出版]」で知る。このサイトは他にもいろいろためになります。
を読む。
宣伝会議編『紙とコスト—COST:VALUE 』宣伝会議,2003
竹尾ペーパーショーのために作られた本。紙にむけてよせられた工夫の数々を紹介する。すぐれたパッケージデザインを紹介しつつ,そのパッケージが商品の上代価格の何%を占めているか(虎やの羊羹1.5%,MONO消しゴムのスリーブ6%),パッケージの面付けから紙の有効使用率はいかほどか(グリコカフェオーレ90%)なんてのもおもしろいし,特殊なプロダクトのために開発された紙(預金通帳専用紙,ダーマトグラフの巻紙)なども感心しながら読めた。文章が観光広告リード風で少々鼻につくが,述べられている事実は面白い。
さて,牛乳のパッケージ。直方体のは「ブリックパック」,四面体は「テトラパック」。
では,日本でもっとも一般的な,端部を開いてから中蓋をめくり出すタイプのは何パック?
が夏に東京の青山で開催されます。「空間と情報」の講義でも取り上げた,真の暗闇体験。とにかくおすすめ。人生観が変わります。先行予約チケット発売中。
2007年4月、携帯電話機の新機種はすべてGPS対応に - nikkeibp.jp - IT
おお,これは大きなニュース。GPSケータイのサービスが一気にいろいろ出てくるぞーと嬉しく思ったのだが,必ずしもバラ色とばかりはいかないようだ。
総務省が主催する委員会「情報通信審議会情報通信技術分科会緊急通報機能等高度化委員会」が2004年5月17日、緊急通話時にユーザーの位置情報を特定するための技術条件に関する報告書を公開し、発売時期と普及率に関しても具体的な目標を示した
総務省のプレスリリースはこちら。
「携帯電話からの緊急通報における発信者位置情報通知機能に係る技術的条件」についての報告書案に対する意見の募集
まず概要は「別添2」
今では緊急通報の半分以上が携帯電話からである。その位置情報を通知=取得する機能を実現したい,という主旨。普通に110番して,緊急通報を音声で行なうと,自動的に測位が行なわれ,位置情報が指令台に通知される。その間ユーザは何も操作をしない。
利用者の意思確認の方法についても,個人情報保護ガイドラインを参照しつつ,「通話ごとに通知を阻止する操作を行なった場合のみ通知を行なわないようにする」。つまり「184 110」とした場合は位置情報は通知されない。逆にいえば,あえて184を押すのでなければ,つまり何もしなければ無条件で位置情報は通知されるという,「簡便な」意思確認がなされる。
このとき,184をあえて押すということは「俺は居場所を知らせたくないぜ」という情報を発信していることになる。
さらに通報者の意志とは関係なく,指令台での操作により測位を起動する「位置情報取得機能」=「緊急通報受理機関からの要請に基づき位置情報を取得する機能」が具備される。もちろん位置情報取得に関するガイドラインはつくられるであろう。しかし,GPSによる高精度の測位を遠隔からやろうと思えばできてしまうような端末だけが市場に提供されるようになるということである。我々は自腹で被追尾装置を持ち歩くようになるともいえる。
これでプリペイド端末を禁止する法案が出てきたら怖いぞ。
このニュースは元永さんからのコメント経由で知りました。
清掃負荷の軽減をねらう本製品はまぎれもなくファシリティマネジメントの関連。
ねらいは異なるがTOTOの「音姫」も同様にFMの技術なり。
「ある女子大学のおトイレに音姫を取り付けた例では、実測データから年間の節水量を試算すると、なんと1876万円も水道料金が減る結果になったらしいよ。」(おしえて!アシカちゃん 4月05日号)
を読む。
マイケル・ポランニー『暗黙知の次元』高橋勇夫訳,ちくま学芸文庫,2003
新訳。佐藤敬三訳が定番だが,以前はうまく読めなかった記憶がある。訳が悪いというのではなく,そのころはまだ私にとっての機が熟していなかったのだろう。今度はわりとしっくりさっくり読めた。そういうことはよくある。でも無理してでも読むことが無駄ってことではない。
原題は"The Tacit Dimension"。暗黙のうちに知っていること。
われわれは顔をみれば誰かわかるが,どのようにしてその人だとわかるのかわからない。
「私たちは言葉にできることより多くのことを知ることができる。分かり切ったことを言っているようだが,その意味するところを厳密に言うのは容易ではない。(p18)」
本書は三部構成である。第一章 暗黙知,第二章 創発,第三章 探求者たちの社会。「探求者」とは科学者のことである。ポランニーは,暗黙知が,科学的探求の原動力となり,より高次の意味を志向するダイナミズムを生みだすという。
さて,私のゼミでも卒業研究にむけての研究テーマの検討がなされている。私のところでは研究室をあげてのシステマティックな研究をやっているわけではないので,私は,君はこれをやりたまえ,ということはいわない。学生が自分でどんなことを研究するか考えないといけない。
研究を行なうには,妥当な問題を立てることが必要である。しかも,独創的な問題を立てる必要がある。大学の研究指導教官はみな学生にそういうであろう。まず問いを立てよ,と。
実物を並べたモダンアートの教科書。おお,これがあれか,というのもいくつか。でも,思いがけず感動してしまうようなことはなかった。残念。
ここはアベックや観光客が多く,楽しげにおしゃべりしながら見ている。へんにかしこまっていなくて,いい感じだ。
それにしても美術館に到達するまでの動線の人的警備のものものしいこと。いたるところに黒服の案内係がおり,プレートをもって,こちらです,あちらです,と言っている。制服のガードマンも同様だ。いたるところに立ち入り禁止のテープが張られ,あれダメこれヤメテと注意書きが貼られていて,なんだかウェルカムじゃない空気。都市の文化を支えんとする森ビルの矜持が,どこまで保たれ続けるのか,ちょっと心配になってしまった。
Japan Society 仙台レクチャーとして,6月2日(水)午後3時より,仙台市卸町の阿部仁史アトリエ/houseにて,アメリカの若手気鋭建築家ハニ・ラシッド/ASYMPTOTE、グレッグ・パスカレリ/SHoP両氏のレクチャが開催されます。モデレーターはArchitectural Record誌のクリフォード・ピアソン氏。
参加は無料。参加を希望する場合は, 東北大学都市デザイン研究室(担当堀口)までメールでご連絡ください。
メール送付先 tohru@hjogi.pln.archi.tohoku.ac.jp
WebSE - System 7.0 - Test Drive a Macintosh...
往年の名機Macintosh SE(System 7.0)をFlashで再現している。なつかし過ぎる。
僕が最初に使ったMacはSE/30とIIci。どっちも私のものではなかったけれど,かなり使い込んだ。このFlashを触っていると,あのころの手触りみたいなものがよみがえってくる。チャカポコうるさいキーボードの感触や,外付けHDD40MB(GBにあらず!)の振動,シュキュイーンとソフトイジェクトされるフロッピーディスクの力強さばかりでなく,椅子やデスクや目の前の壁の様子なんかもアリアリと思い出されてくる。この指と掌の記憶が,あのころ感じていたことまで想起させるようだ。
コンピュータがタンジブルでないなんてのは荒っぽすぎる議論なのではあるまいか。
GNOME Human Interface Guidelines 1.0
2002年にまとめられたもの。とりあえずBookmark。
FMerという仕事。
FM1_2004_06.pdf
都合により,6/14は休講とします。
を読む。
齋藤孝『座右のゲーテ:壁に突き当たったとき開く本』光文社新書,No.150, 2004
ゲーテってのは偉大であるな。
「宮廷生活は,音楽に似ている。めいめいが,拍子と休止を守らなければならない。
宮廷の人びとは,退屈のあまり死んでしまうにちがいない。もし,彼らが儀式によって時間をつぶすことができなければ。(p132)」
齋藤孝は,ゲーテについてアレコレ語る「近所のしゃべりたがりのおっさん」の役回りにすぎない。もちろん,わかってやっている。ありがとう齋藤さん。
だから本当に読むべきはこっちだ。
ITmedia Survey:この春入学の女子大生、1日何通メールを打つ?
(1)そんなに多いのかー
(2)ま,そんなもんでしょうね
(3)それどころじゃないでしょフツー
「ワークショップ「身体の文化,建築,そして都市」」にて既報のナンシー・フィンレイさん主催のワークショップ,下記の予定で説明会が行なわれます。宮城大学での説明会はちょっとタイミングを逃したため開催できなくなってしまいましたが,こっちの説明会はまさに会場となる空間でのものですので,よりよく理解できるでしょう。参加無料。インフォーマル。予約も必要ないみたいです。
2004年6月5日(土)16:30から約2時間の予定。
会場はEDIT。(地図)
詳細は,下記ホームページまで。(5/26オープン予定)
http://www.geocities.jp/sendaiws/
(直リンク)
NEC: プレスリリース: 2004年05月26日-1
NEC Direct > ハローキティパソコン 公式サイト。
液晶モニタの背面も「ディスプレイ」だってことだ。いずれ携帯電話みたいに背面画面付きもできるかも。PowerBookでアップルのマークが光るのはその兆しか。
本機はソフトウェアのスキンなどもちろんあらかじめカスタマイズされている(矛盾?)ようです。
(趣味の違いはあるにせよ)カスタムカーの市場がそれなりに大きいことを思えば,これから,カスタム家電のマーケットは広がるでありましょうね。
PowerBook2400の時代にはカッティングシート貼ったりするのが結構流行ったな。ヴィトンのモノグラム柄もあったような気がする……
秋葉原を徘徊するオタクのファッションは変化しているか・2004年報告
秋葉原オタクファッション調査2004、考察とまとめ
2004年春・秋葉原のファッションシーン(汎適所属)
以前よりはマシになってきたという指摘だが,これは「若年男性オタクに比較的共通してみられたファッションの向上は、彼らが能動的に行った結果ではなく、単に彼らが衣類を入手する店の商品が似非モード化したからに過ぎない」のであって,「結局のところ『ファッションに時間と お金と注意を払っていない』というセントラルドグマ自体は変化していない」という。
このとき,「彼らが衣類を入手する店」というのは,郊外型量販店をさす。具体的には「西友・ジャスコ・ファッションセンターしまむら・ユニクロ」などのことだ。こうした店舗の商品が「似非モード化」しているという指摘は,郊外的なるものの普遍化・一般化のプロセスを捉えていておもしろい。
個々の意志が弱いところにこそ,文化の基底が露出する。服飾においてはそれがオタクだというわけだ。
ちょっと不安定な気がする……
を読む。
西野嘉章『ミクロコスモグラフィア マーク・ダイオンの[驚異の部屋]講義録 』平凡社,2004
平成14年12月から翌3月にかけて,東京大学総合研究博物館小石川分館で開催された展覧会「ミクロコスモグラフィア」の記録である。
巻頭にカラー図版がある。東大にある学術標本の数々を,美術家マーク・ダイオンがインスタレーションを行なったのがこの展覧会だ。ひとつひとつの標本の説明はなく,8つに分割された部屋ごとのテーマに即した展示がなされている。実にすばらしい。この展覧会を見逃したのは一生の不覚だ。
『本とコンピュータ』編集長の仲俣暁生が「著作権法改正におけるメディアの分断統治」から始まる記事を書いている。
音楽CDにおける「輸入権」導入、出版界における「貸与権」導入、そしてネットにおけるファイル交換ソフトへの取り締まり強化。この三つの現象は、バラバラに起きていることじゃなくて、一つの趨勢(それが巨大な意志の力、かどうかは別にしても)の三つの表れだ、ということが、ようやくハッキリしてきた。
(中略)
下北沢に住んでいると、「輸入CD屋」とか「新古書店」といったオルタナティヴな回路があることが、いかにありがたいかを身にしみて感じる。いま著作権法改正に乗じて目論まれているのは、すべての「オルタナティヴな回路」を塞ぎ、オーソライズされたただ一本の道(しかも有料)しかないという状況づくりなんだと思う(もちろん、今回の著作権法改定では「新古書店」は影響をうけない。でも、そのうち必ず狙い撃ちにされて、規制が強化される。ICタグはたぶん万引き対策などではなく、将来的な「譲渡権」の拡大のための布石だろうというのが僕の予想)。
2004年の1月に自由民主党 経済産業部会知的財産政策小委員会 著作権に関するワーキングチームがまとめた「知的財産立国」に向けた著作権戦略「5つの提言」−コンテンツ産業の飛躍的拡大と我が国の文化の積極的な海外発信を目指して−
」には,貸与権,輸入権,刑罰の強化の三点セットが出てきているという。お,ホントだ。
著作権法改定と歩みをそろえて,「コンテンツの創造、保護及び活用の促進に関する法律案」というのも衆議院を通過している。
この法律案の第二条に「コンテンツ」の定義がある。
第二条 この法律において「コンテンツ」とは、映画、音楽、演劇、文芸、写真、漫画、アニメーション、コンピュータゲームその他の文字、図形、色彩、音声、動作若しくは映像若しくはこれらを組み合わせたもの又はこれらに係る情報を電子計算機を介して提供するためのプログラム(電子計算機に対する指令であって、一の結果を得ることができるように組み合わせたものをいう。)であって、人間の創造的活動により生み出されるもののうち、教養又は娯楽の範囲に属するものをいう。
いろいろな豊かなものが,一緒くたに「コンテンツ」ってことにされている。仲俣はいう。
国立大学の独立法人化にみられる産学一体化と人文切り捨ての論理を、産業側(およびそれを国策としたい役人や政府)から表現するためのマジックワードが、あらゆる種類の文化・芸術・娯楽をそれぞれの文脈から断ち切って無機質化してしまう「コンテンツ」というひどい言葉なのだ。 ようするに、これからは出版界も映画界もアカデミズムも、すべて「コンテンツ産業」の下部組織になるのだな。
わたしにとって,この仲俣暁生の記事は,この「コンテンツ」という言葉によって,昨日読んだ西野嘉章の『ミクロコスモグラフィア』と繋がった。西野が憂いていたものはこうした「コンテンツ」的な発想そのものであるだろう。
でも,正直いってわたしにはよくわからないのだ。
得をするのは誰なのだろう?何が守られるのだろう?
ところで, わたしの勤め先ではカリキュラム改定作業の真っ最中である。
「コンテンツ」って言葉が新科目案になくてよかった。
sync tokyo: 第2期syncメンバー募集のお知らせ
学生も可。
見晴らしの良い場所に立つべし。
テレビでフリーズドライ(真空凍結乾燥)のやりかたを見た。こどもむけの番組。
凍結させた食べ物を真空タンクに入れると,氷が水に戻らずにそのまま抜けて乾燥しちゃう。細胞の形状が壊れることなく水分だけが抜けるのである。
フリーズドライのイチゴでもサバでもアイスクリームでも風味が失われずに残るのだが,これを番組の「博士」が「かたちがそのままだから情報が残っているんですね」と説明していた。
かたちに情報がある。味や香りもまた,かたちに宿る情報である。
面白い。Teddyで有名な五十嵐健夫さんらの仕事。
うちでは「金色のガッシュベル!! 友情タッグバトル」がブーム。これは呪文で技を繰り出すんですが,技の名称もさることながら,叫び方の声色やリズムが(ヒトにとっては)支配的だと感じる。叫びながらボタン押してるもんな。
インタラクティブ・ポエマーのセル移動に使えないかなーと思ったんだけど,これって相対移動なんだよね。ポエマーは自分が地図の上に乗ってるから,「ここ!」と絶対位置指定をする方がいいな。
安藤日記経由。
追記:
「声を出さない音声認識」と組み合わせるとどうか。声が出ないように,みんなでクチパク,ハァハァゼェゼェ。
やってみるとわかるけど,声を出さないように,でも息は通して骨をふるわせるようにっていうのはかなり表情筋を使います。表情認識による直接操作インタフェイスに近づきそう。にらめっこさながらに操作する。顔の皺やたるみも取れて一石二鳥とか。
ただ,カメラじゃなくてマイクでやれるってのは大きいな。暗くても使えるし,動きながらでも使いやすい。そのかわりマイクは装着しておかないといけない。カメラなら離れていられる。指向性が非常に強いマイクで音を拾えば…とも思ったが,追尾するのが難しいかなぁ。
FMのための知識。人間,社会,環境。大急ぎで詰め込んだので聞き苦しかったでしょう。すみません。
http://210.156.35.135/~motoe/mt/fm/FM1_2004_07.pdf
来週(6/7)はLCMをめぐるミニワークショップ,再来週(6/14)は休講です。