ほぼ同時期にできたスペインのふたつの現代美術館をあわせて見てくることができました。ひとつはフランク・ゲーリーのグッゲンハイム・ビルバオ。もうひとつはリチャード・マイヤーのバルセロナ現代美術館。
両者の出来はかなり違います。雲泥の差。白い方が泥。
ビルバオのほうがずっと楽しい。ビルバオは、ひとつひとつの展示空間がプロポーションよくつくられていて、それらの関係づけられかたも非常に多様です。小さい展示室から一番大きな展示室が見下ろせるようになっていたり、逆に見下ろしている人が大空間の焦点に見えたり。展示室の床も、モルタルや石、フローリングなどいろいろ違えてあります。
見ている人たちも非常に楽しそうです。中央の巨大なアトリウムを囲む廊下や垂直動線も巧みに見え隠れするようになっていて、飽きずに歩き回れるようになっています。さまざまに変化する空間が、観客の視線や体の動きをあれこれ引き出すようになっている。知り合いを見つけたら思わず手を振りたくなるような空気があります。また、展示室内には休憩用のベンチは一切ありません。アトリウムに戻ってから座るようになっている。これも展示室のテンションを維持するための工夫だと思われます。
椅子といえば、真っ赤なジャケットを来た監視員の女性たちは、みな立っていました。彼女たちの椅子も用意されているのですが、スツールでかなり高い。だから、あんまり腰掛けていません。竹橋の近代美術館のスタッフがダサダサのスモックみたいのを着させられていて、隅っこの椅子に膝掛けをしてチンマリ座ってるのとは偉い違いです。
写真で見ていたときに感じていた「アホらしさ」は解消されました。たくさんの人が楽しそうに建築を使っているという印象に満ちていて、建築には力があるのだと信じることができる非常によい建物です。そういう意味で、せんだいメディアテークと似ています。
ビルバオは館内の写真撮影が禁じられてます。残念。あと、雨の夕方に行ったので、街との関係などはあまりよく見ることができませんでした。これも残念。ただ、ビルバオはあちこちで大規模な開発がなされている予想以上の大都会で、グッゲンハイムは意外に小さいなという印象を持ちました。
ここに書いたグッゲンハイム・ビルバオについての感想の多くは、同行した小野田泰明さんとの議論によるところが多いです。多謝。
マイヤーのバルセロナ現代美術館については、隅々まで綺麗にできていますが、それ以上あまり言うべきことがありません。展示空間も単調で、ダラダラ長いばかりのスロープを歩かされているうちに飽きてきます。
ビルバオは、建築家のゲーリー以上に、グッゲンハイム美術館の美術体験を作り出すノウハウが優れているのであろうと思われました。それはまぎれもなく環境情報デザインの好例だといえます。