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センサと監視社会

センサの勉強をしようと思い、山崎弘郎『トコトンやさしいセンサの本』(日刊工業新聞社、2002)を読む。タイトルと装丁は軽薄であるが、内容は整理されていて読みやすい。同様の体裁の入門書はいくつかあったが、書店でみた限り、これが一番よいと思う。
同時に読み進めているのは、デイヴィッド・ライアン『監視社会』(青土社、2002)。情報社会とは監視社会である。われわれは監視をむしろ進んで受け入れ、監視社会に順応して生きている、という指摘は正しい。

僕は「みまもりほっとライン」について議論するときにいつも、「見守る」のと「見張る」のは行為としてみれば同じだ、と説明してきた。「見知らぬカゾク」もまた自発的な監視システムへの順応の一様態をブラックユーモア的に示すものだと言えるかもしれない。時空間ポエマーだってそうだ。

監視のない社会を夢見ても不毛だろう。
社会そのものが監視を必要としているのだから。

かといって、監視はよいことで、好きなだけやっていいというものではないだろう。

情報システムを構想することは、否応なく監視社会に加担することになる。
それを自覚しつつデザインをしなくてはならないのだ。

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2003年07月29日 20:26に投稿されたエントリーのページです。

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